#83|静寂や余白。「なにもない」ことを楽しめる人生は豊かかもしれない。
初めて見に行った能楽の舞台。
初めての経験、初めて触れる文化は、必ず新しい発見を与えてくれる。そんな気づきを書き残しておく「能楽note」2日目。
宝生流の「巴」という演目がこの日のメイン。
ストーリーもクライマックス、激しさを増す太鼓や笛の音に合わせ、巴御前が所狭しと動いている。
そして最高潮に達した瞬間、
すべてが止まった。
巴御前の動きも、太鼓の音も、笛の音も。
舞台上の全てが止まり、会場の空気も止まった。観客の心もきっと止まっていた。
静寂。
数秒か、数十秒か。
やがて巴御前はゆっくり退場。我に返った観客は拍手を送り、やがて終演のアナウンスが流れ、いつもの空気が戻った。
あの静寂は何だったんだろう。
いや、演出上のものであることはわかっている。言いたいのはそこじゃない。盛り上がった音と動きがピタッと止まり、会場の全ての音も動きも気配も止まったとき、比喩ではなくて本当に「時が止まった」感じがしたんだ。
あの静謐さ。
とても非日常で、緊張感があって、自分がここに存在しているのか疑いたくなるような、大勢の中にいたはずなのにたった一人になってしまったような、自分の身体がぽっかり浮くような…
ものすごく不思議な時間だった。
「音がない」ことで意味を与えられる時間もある
終演後、一緒に行っていた娘が絶え間なく話し続ける感想に耳を傾けながら、私はあるツイートを思い出していた。
文化的で示唆に富んだツイートが魅力で、毎日投稿をチェックしているKAZさん。音楽や演出という私にとっての非日常要素をお仕事にされており、知らない世界を教えてくれる大切な人だ。
能楽の帰りに思い出したのは、KAZさんのこの投稿。
アルバムって最後マスタリングという作業があってその際に曲と曲の間に何秒とるかを真剣にやり続ける時間があります。2秒か3秒か。スタジオスピーカーではなく家庭用オーディオで家で聴く想定までして。今はSpotifyなど一定の基準で曲間の妙味はもうないですね…当時そんなこだわりに命かけてました。
-KAZ@デジタル×音楽×ホテルを考察する
知らなかった。
確かにアルバムの曲と曲の間には何秒かの「スキマ」があって、せっかちな私はよくスキップしていた。
あの「スキマ」が、そんなに真剣な議論で作られていたなんて。
曲と曲の間のスキマ時間は「秒のアート」だったんだ。
そしてさらに教えを請い、そのスキマ時間は「無音だから意味がある」と理解した。
きっとアルバム全体を一つの作品に作り上げるために、曲と曲の間すら「無音のアート」として意味づけているんだろう、と。
知らなかった。
音楽アルバムなのに、「音がない」部分に意味があるなんて。
巴御前と空間の全てが静止したあの時間に、KAZさんが言う「無音のアート」に通じるものを感じた。
人生や生活も「余白」があった方がいい
人生も同じかもしれない。「何もない」状態を敢えて作ったほうが、人生全体がうまくいくのかもしれない。
巴御前の静寂とKAZさんの「無音のアート」を重ね合わせたときに思い出したのが、やっぱりTwitterで仲良くしていただいているじんやまさんの投稿だ。日々と丁寧に向き合い、気づきを優しく冷静に言語化する投稿は学びを与えてくれる。
本当にTwitterというのは、普段なら知りえない人と近しくなれるのが素晴らしい。
忙しさからの余白の無さ。
諦めからの虚無感。
そうした状況が続くと人は人格を変えて、その状況の負荷を減らそうとする事もあるのかもしれない。
余白があるか光は見えてるか。
そういった感覚は日々意識しておきたい。
気づかないうちに自分を見失う前に。
-じんやま🤔|WEB業界17年目のディレクター & マーケター
4か月ほど前の投稿だが、覚えている。「余白」という言葉が、印象的だった。
これは私の性格の問題だが、予定がぎっしりで忙しいことを是としてしまいがちだ。全てを一人で抱え込み、無理してでもこなそうとして、そしてどこかにほころびが出て、つぎはぎをして、騙しだまし日々を送る。
目先で一杯いっぱいの日々は、先を考えることから目を背けさせてくれる。本当なら自分の人生と向き合わないといけないのに、忙しさは人生から逃げることを正当化してくれる。
そうやって生きてきた結果、私は人生の折り返し地点で「人生迷子」なんていう状況になってしまった。
じんやまさんが言う「日々の余白」。
KAZさんが言う「無音であることの意味」。
そして巴御前が見せた「静謐さ」。
余白も無音も静謐さも、考えてみれば日常にありそうでないものだ。忙しさにかまけていれば「余白」なんてすぐなくなるし、今の生活は深夜であっても無音・静寂には程遠い。
3つは「非日常」そのものだ。
だからこそ、何か問いかけられている気がする。何を問いかけられているのだろう。真剣に向き合うことで、人生の意味がまたひとつ見いだせそうな気がする。
娘の希望で見に行った能楽が、人生や自分と向き合うきっかけになるとは思わなかった。新しい気付きを与えてくれるとは思わなかった。
せっかくの気づき、大切に向き合いたい。