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米軍統治下の沖縄で創業「ブルーシールアイス」「ステーキハウス88」と基地の町

「沖縄に来たらブルーシールアイスクリーム、食べないとね~♪」
「アメリカンビレッジでアメリカンステーキ!」

なんて言っていましたが、今回、「ブルーシール」や「ステーキハウス88」を通して、沖縄の歴史を知り、学ぶことが出来ました。

知ったことでまた行きたくなる沖縄グルメの話です。


⭐Aサインってなんだ?


毎年2回ほど、沖縄に行っています。

日本でありながら異国情緒ある沖縄が大好き!

今年1回目の沖縄旅行では、アメリカンビレッジ内のホテルに宿泊し、「ステーキハウス88」や「ブルーシール」にも行きましたが、「ステーキハウス88」の公式HPを見ていて気になった文字。

「Aサイン」

1955年の米軍統治下時代以来、沖縄のステーキといえば”Aサイン”を持つ飲食店「ステーキハウス88」です

ステーキハウス88公式HPから

「Aサインってなんだ!?」
なので調べる!

「Aサイン」の「A」とは、「Approved(認可、承認)」の意味。

終戦後、米軍統治下におかれた沖縄では、飲食店の営業には、米軍が許可する「Aサイン」を取得する必要があったというのです。

沖縄が日本に返還(沖縄本土復帰)されたのは1972年(昭和47年)5月15日。

なんと終戦の27年後!
改めて聞くと、やはりその長さに驚きます。
50代の私が生まれた時、まだ沖縄はアメリカの占領下にあったということです。

しかも、「Aサイン」取得のためには、2重の審査があり、当時の一般的な基準に比べ、とても厳しいものだったといいます。

①琉球政府より食品衛生法に基づく許可を得て、「一級格付」の認証を取得

②米国民政府の「Aサイン認証」を取得

フィールOKINAWAのHPより

パッと見付けただけで、以下3店も「Aサイン取得店」だったレストランだそうです。
是非行ってみたいものです。


「ジャッキーステーキハウス」沖縄県那覇市西1-7-3 1953年創業

「ジョージレストラン」那覇市辻2-1-9 1954年創業

「チャーリー多幸寿」 沖縄市中央4丁目11-5 1956年創業

⭐「ステーキハウス88」でアメリカンステーキ


「ステーキハウス88」のアメリカンステーキ、美味しかった~!

今回は、アメリカンビレッジ内の北谷店。

入口の看板を見て、
「なんだって!?ブルーシールアイスクリーム10種類が食べ放題!」
この前日に食べたところだけど、もちろんまた食べるに決まってるじゃないですかー!

しかもステーキメニューは全て、ライスおかわり自由、スープバー、サラダバー付き!

私はテンダーロイン(ヒレ)。
柔らかくてジューシー!

いつもブルーシールの店頭では、ダブルにして断腸の思いで2種類に絞っているわけです。

でも、ここでは10種類が食べ放題!
テンション上がる〜!

店内には、米軍統治下だった「ステーキハウス88」を物語るパネルが沢山。

あ~、本来、ここに「Aサイン」も掲示してあっただろうに、この時、その価値を知らなかった私は見逃してしまいました~。

「ステーキハウス88」は1955年(昭和30年)に「Aサイン」を取得して「Club88」として開業し、統治が終了した1978年に「ステーキハウス88」として再スタートしたそうです。

ちなみに、Aサイン制度が廃止されたのは、返還直前の1972年4月15日です。

⭐アメリカ生まれ、沖縄育ちの「BLUE SEAL」


「ブルーシール アイスクリーム」も同じく米軍統治下の1948年創業。

アメリカに本社を置くフォーモスト社が、沖縄駐留の米軍関係者の生活に必要な乳製品を供給するため、沖縄県具志川市(現在のうるま市)の米軍基地内に創業したのがブルーシールのはじまりだそうです。

アメリカンビレッジには「ブルーシール」が2店舗。

✅デポアイランドシーサイドカフェ(デポアイランドシーサイドビル2F)
✅デポアイランドカフェ(デポアイランドビルD 2F)

どちらもお城みたいな店舗です。

可愛い「BLUE SEAL」のロゴがさらに映えるアメリカンビレッジ。

シーサイド店では美しい夕陽が見えました。

沖縄ならではのシークワーサー味にする友人を横目に、私は浮気なしのチョコミントとチョコ系。

見付けてしまいました。

沖縄県浦添市の牧港にある牧港本店はブルーシール1号店。
こちらは2024年7月23日(火)にリニューアルオープンし、なんとドライブスルーもあるというのです。

PRTimesより

ここにいるジョニーに会いに行きたい!

実は「ブルーシール」に関する様々な記事などを見ていると「ジョニーさん」といういくつかの記述を見たんです。

「ジョニー?誰?」

実は「BLUE SEAL」牧港本店のカウンターには、「ジョニー」という愛称のマネキンが座っているんだとか!

リニューアルした新店舗のカウンターにもいるそうですよ。

PRTimesより

そしてジョニーさんは、この写真に写っている軍人さんをモデルにしたことがブルーシール公式HPにも書いてありました。

ブルーシール公式HPより

店内は、アメリカンダイナーらしいチェックのタイル、赤いレザーシートの座席、ペールグリーンの壁面。
加えて、沖縄らしさとして、琉球石灰岩模様のパネルや、花ブロックなどを取り入れているそう。

PRTimesより

また次回の沖縄ではジョニーに会いに行ってみましょう。

ちなみに、TギャラリアDFS沖縄に行った際にはヒルトンオーナーズクラブのカウンターに寄りました。

実は以前にヒルトンオーナーズの会員権も購入し、使いにくさ故に売却した経験もある私ですが、入り口でブルーシールアイスがもらえる、と聞いたもんで、引き寄せられてしまいました(笑)。

以前、コロナ禍でブルーシールが直面した1年で売上7億減からの逆襲劇についての記事も書きました。

⭐基地の町「北谷町」 町の半分以上が米軍基地!?


沖縄を車で縦断していると、米軍基地を見かけ、
「あ、これが有名な普天間基地かな?」
なんて思っていると、他のエリアにもまた基地を見かけます。

なんと、沖縄県には、31の米軍専用施設があり、沖縄本島の面積の15%を占めるそうです。

31ヶ所?
沖縄本島の15%!?

そこまでとは知らなかった。

防衛省HPより


今回訪れた「ステーキハウス88」や「ブルーシール」があるアメリカンビレッジが位置するのは沖縄県中頭郡北谷町(ちゃたんちょう)。

北谷町は「基地の町」とも呼ばれています。
今もなお、北谷町における米軍施設占有率は51.5%。

半分以上!?
驚きです。

太平洋戦争末期、「絶対国防圏」としていたマリアナ・パラオ諸島で惨敗した日本軍は、沖縄を本土防衛の最後の拠点とし、北谷町の民有地を半ば強制的に接収して「中飛行場」を建設。

終戦後、米軍は「中飛行場」を占領し、キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター)を建設。

さらに嘉手納町では極東最大の米空軍基地「嘉手納基地」が建設されたのです。

1954年、米軍は軍用地拡張のため、「沖縄有数の美田」といわれた宜野湾市伊佐浜の土地での水稲の植付を禁止し、宜野湾村伊佐浜の住民へ立ち退きを勧告。

住民による粘り強い座り込みの反対運動もむなしく、ブルドーザーで家屋を破壊しながら13万坪の土地を強制接収したといいます。


基地問題として、オスプレイと呼ばれる航空機、V-22が住宅地に墜落したり、米兵による暴行事件などがよくあげられるように思いますが、それは最近の話でごく一部。

戦前戦中、そして戦後の米軍統治下の沖縄で暮らした方々が、計り知れぬ辛い経験をされたこと、基地がある各地に様々な出来事があったであろうことを忘れてはいけないのだと思いました。

戦後27年間、アメリカの統治下におかれた沖縄は、日本人でもパスポートが必要で、簡単には行き来することは出来なかったそうです。

道路もアメリカと同じ右側通行。

東洋経済HPより

1972年、沖縄本土復帰が決まり、その6年後の1978年7月30日早朝から一斉に本土と同じ左側通行に変更。

このキャンペーンは日付から「730」と呼ばれたそうです。

道路標識や看板が逆向きになったことや、車やバスがハンドルを左から右へ変更したことなどは想像に足るところでしたが、バスの乗降口も反対側に変えられたと聞き、確かに!と驚き。
ほんとだー!

東洋経済HPより

美しい海、世界有数のダイビングスポット、美味しい沖縄料理、魅力あるリゾートホテル。

次回の沖縄は、改めて知った沖縄の歴史、背景を知ってまた楽しみましょう。

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