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noteは自分いじめのツールじゃない

またやってるなぁ……
それが最近の自分への感想でした。また新しいことを初めて「ほら継続出来ないじゃん」って、自分に対してぶつけている自分がいたのです(笑)

noteを始めた理由は、ただの真似っこ。先月始めたばかり。


仙台に旅行に行ったとき、ネットサーフィンしながら、noteを使っている人が多くて、気になってやり始めただけ。しかもアンパンマンは、ただそこにあって可愛かったから撮っただけ(笑)

ただの真似っこで始めたのに、なぜか”書けない”ことに悩んでいるのです。悩んでいるのか…?悩みを作りたいだけなのかもしれない。なにかに悩んでいないと、能天気なおバカさんみたいじゃないか、とか思っているのかもしれません。

facebookに書くにはやや長文になりがちな体験などを最初にnoteにしていました。行ってよかったワークショップとか、去年起きた体調不良のこととか、まだ書けていない書きたいことはあるのです。書きたいことが書けていないというのも、胃もたれというか、早くスッキリしたい感と共に自分イジメのタネになっています。早く書けよ、って。

早く書きたい……のだと思います。
とても面白い経験が出来ることが、世の中にはたくさんあるのだもの。私が独り占めしたら、勿体無いんじゃないかと。

動いてみて繋がる”ご縁”から、新しい世界を見つけることはとても楽しいのです。知り合いから紹介された本を読むこと。本を読んで気になった著者に会いたくて講演会に行ってみること。講演会で別のセミナーを紹介されること。セミナーに行く途中で、たまたま立ち寄った本屋さんで見つけたワークショップに参加すること……。ご縁は繋がっていくのです。そして、なにをご縁とするかは、自分で選べるのです。
私のnoteをたまたま読んで、たまたま気になってくれる人がいて、たまたまその世界に踏み込んで。たまたまが誰かに、なにか新しいご縁をつくったら、とてもステキな気がするのです。

ちゃんとしたことを書かないといけない、って勝手に自分へのルールを課していたことに気づきました。そして、このnoteを書き始めてから、「へー、みゆきちゃんって、そんなこと思ってたんだ。近くに居るのに知らなかった」って、自分に対して思っている自分がいます。頭の中の考えを綺麗に丸にしよう丸にしようって、キーボードを通してどんどん丸めて行って、なんとなく形になっている。まん丸を作り買ったけど、せっかく出来たこの出っ張りを整えると雲の形にも見えるね、うん、これはこれでいいか。そんな感じでしょうか(笑)

自分のことを自分で把握するためにも、文章を書くことって結構役に立つなと思います。自分でも自分の考えがわからなくてグルグルする時、ペンを持って紙に書き出すと大きく感情が変わることがあります。書いていることがどんどん変化してぐちゃぐちゃになって、悩んでいたスタートと全然違うゴールに辿り着く。「あんなやつ居なくなっちゃえ」って書き始めた恨み辛みの書きなぐりが、「どうして分かってくれないの」「寂しい」に変わっていくこととか。やってみると頭の中って、思っている以上に見えないようにカモフラージュされてるなぁ……って思います。

ペンを持ってごじゃごじゃと書いたものは、感情が筆圧とか字の綺麗さとか尖りとか丸みとか、そういうものが文字に乗ってくる感じがしました。なんどもなんども、それで感情を整えていました。聞いた時はまさかと思ったけど、やってみるとびっくりするような感情の動きがあるのです。
一方キーボードはというと、文字は淡々と並びます。ありがたいことに、文字が綺麗に並ぶと、自分の体験や考えがちょっとだけ他人事に見えます(笑)だからでしょうか、とても客観的に自分のことが把握できそうです。感情ベースより、事実が乗っかっている感じ。もちろん格好良く書きたくなることもあるし、あーこれは書いちゃいかんやつだとか、そういうものはサクサクと直しますけどね。

さて、書き始めた頃にnoteをやリ始めたことが、自分イジメになっているのではないかといった気持ちで書き始めましたが、どうやら違うみたいです。私は、なにか文章を書きたいんだ、ということのようです。そして文章を書くことで起きることにちょっとずつ気付いて、面白くなっているみたいです。
やりたくないこと、興味のないこと、無関心なこと、そういうものでは悩まないはず。なにか伝えたいことがあるのだと思います。
気付いちゃったので、ジタバタしながら、書いていきます。

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