アメリカと日本のヒーローを比較してみた!(第三弾)
こんにちは~
今日は5日ぶりくらいに髪の毛を巻きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、この記事が最終回!
「アメリカと日本のヒーローを比較してみた」第三弾、
「ヴィラン(悪役)」についてです。
前回の記事はこちらです。
3:ヴィラン(悪役)について
善と悪の戦い。ヒーローものである限り、そこに一定の「成敗」がないとどうしても成立しないような感じがしてしまう私です。
前回、ヒーローものにおける受け手の共感性の話をしたんですが、
何者を「ヴィラン(悪役)」とするか という点。これが私は、いちばん国ごとの共感・・・というか国民性だったり民族性が感じられるなあと思っています。
日本のアニメなどにおける悪役は、しょっちゅう改心しますよね。
戦って、負けた、よし「お前の仲間になろう」
この調子がとっても多いと思います。
(※軽!となりながらも嬉しかったりするんだけど)
仲間にならなくても、ヒーロー側と目的は同じだったパターンとか、
実は親玉は別にいて操られてたよパターンとか、
悪役なのに「確固たる悪意」みたいなものを感じないキャラクターが多い。
その点、アメコミではものすごい怖い悪役いっぱい出てきますよね。
写真差し込んだジョーカーもそうだけど、
純粋に「悪」を楽しむサイコパスが多い。
一般的に見て、完全に狂っていて、1ミリも共感できない。
これがアメリカのヒーローものの「悪役」の主流。
そして思いついたのが、キリスト教での「悪魔」って「天使」に昇華されることってないよなあってこと。
一度「悪」に堕ちてしまった者は戻ってこられない。
逆に、日本になじみのある宗教でいうと、
仏教では鬼が仏になる「鬼子母神」だったり、神道では祟り神を祀ることで強力な神となったり、
元々「悪」や「害」と捉えられていたものが、宗教を用いた「善」のパワーで改められるという文脈が多く見られます。
この違いが、悪役のキャラクター設定の差を生んでいるんじゃないかなあ~と思いました。
おわりっ
ここから先は
¥ 200
この記事が参加している募集
よろしければサポートお待ちしております!頂いたサポートはモデルとしての活動費、また上京の資金にさせて頂きます!応援お待ちしております。