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自分にとってはどうでもいいこと

自分にとってどうでもいいことが、自分ではない誰かの生きる糧になっていることがある。

逆に、自分にとってとても大切なものが、他の人にとってどうでいいものという場合もある。

最近、その大切さに気付くべきだと思い直した話。

私には興味がないこと、どうでもいいことがたくさんある。

可愛いカフェとか芸能人のゴシップとか、耳が痛くなりそうな音楽とか他にもたくさん。

でも、私ではない誰かはそれらをとても大切にしていて、誰かの夢であったり、何かの目標にしていることだったりするかもしれない。

それらがあるおかげで生きる力を持つことができている人もいるかもしれないし、そのために生きている人もいるだろう。

可愛いカフェを作りたいと必死に努力している女の子もいるかもしれない、激しい音楽の作曲を毎日頑張っている男の子がいるかもしれない。

そういう私の興味がないことが、誰かの大切なものであるという価値観の相違を受け入れることは大切だ。

自分以外の人は自分ではない。

だから、好きなことも嫌いなことも人それぞれだし、人それぞれに興味の対象は違う。

大切なのは、そこで自分が興味がないことに対して取る態度。

「そんなことが好きなの?」や「それの何が楽しいの?」とか、そういった一言は不要だ。

別に無理して興味を持つ必要はないけど、人の好きなことを悪くいう必要もない。

私にとっての「そんなこと」が、誰かの大切なものかもしれないという気持ちを忘れてはいけない。

これは家族に対しても同じで、特に子供とか旦那には言いがちな気がする。

特に子供にはつい親の希望で、分厚い本を読んで欲しいとか英語を好きになって欲しいとかそういう気持ちを持ってしまう。

でも、子供は他人だから、子供の好きなものは親が指定することではない。

乱暴そうなアニメとか気持ち悪い虫が好きでも、

子供が外に出て好きなものを見つけてきたなら、それを受け入れる。

犯罪とか人を傷つけることでなければ、興味を持つ子供を見守る。

多様性は家族に対しても、同じように認めてあげるべきだ。

自分にとってのどうでもいいもの、嫌いなものが誰かの大切なものかもしれないという気持ちを持つこと。

どんなものであっても、認めてあげる心。

そういった広い気持ちを持ちたいな、と久しぶりに見た青い空を見て思ったそんな日。







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