母はパンとお菓子でできている
母について書いてみたい。
正確に言うと、母の食生活についてだ。
私の母は、昭和12年生まれ。今年で85歳になる。
10月半ばに3年ぶりに帰省を果たし、母と再会した。しばらく会わないうちに驚くほど年を取ったと思ったが、同じくらい改めて驚いたのは、その独特の食生活だった。
彼女に会うたび、私の中にこんな言葉が浮かぶ。
「ああ、母の身体は、パンとお菓子でできている。」
「パンがなければお菓子を食べればいいのよ」は、かの有名なマリー・アントワネットの言葉だと言うが(違うという説も聞いたことがある)、同じセリフを言いそうなのが、まさに私の母である。
信じられないことだが、わたしの母は、肉も魚も野菜も嫌いだ。
ネットとは無縁の母がこれを読むことはまずないが、仮に本人がこれを読んだら「そんなことはない。ちゃんと食べている。」と抗議をするだろう。しかし、摂取する量や種類から言うと、肉も魚も野菜も「食べられない」「口にしない」物のほうが圧倒的に多いのだ。
帰省した日の食事
帰省した当日、珍しく「夕飯はうちで」となった。
私の実家の家族は、母、叔母(母の妹)、わたしの兄、という構成だが、帰省するとたいてい「外で食べよう」となる。ここ最近はもっぱらそういう方式だったので、いったい最近は家では何を食べているのか、興味津々だった。
「私たちは最近これをよく食べる」といって出てきたのが牛肉で大葉を挟んでフライにしたもの。肉は多分すき焼きなどに使う肉なので、恐ろしく薄い。なんなら周りについたパン粉のほうが主張が強い。
あとはレタス、トマト、叔母が買ってきたと思われる鶏肉をグリルで焼いたものをほんの少し、近所で購入したというさつまいもの天ぷら、白ご飯である。
なんとも量が少なく、50歳になる私でも毎日これだとキツイと思うが、帰省したその日の疲れもあるし、何より久しぶりの家での食事なので有難くいただいた。さつまいもの天ぷらが思いがけず美味しくて、何切れも食べてしまった。
隣を見ると、母は肉を1カケラ(約2×1センチほど)、一口大にちぎったレタスを2枚、これまた一口大に切ったトマトを2カケラ、ご飯を女茶碗で半分もない程度食べている。サツマイモは1つか2つ食べたようだ。
「お年を召した人なら、そんなものだろう。」
そう思われるかもしれない。
確かに80代になって更に量は激減したが、若い頃からこんな調子で、食べる量は他の家族の半分以下だった。
しかも母の食事のとり方は食べる対象だけではない。
潔癖症の人なので、食べ終わった自分のお皿も即効で下げてしまう。わたしの皿も食べた都度下げていった。
新婚時代にこのルールを適用して「行儀が悪い」と夫に注意されたのは私だが、今回当の本人に聞くと、「汚れた皿がちょっとでも残っているとイライラする!」とのこと。
この理由で、私の家では鍋料理が出されなかった。皿だの、食材だのが、いつまでも食卓に出ているからだ。
自分が嫌いなものを出さない人
母は何より食べられるものの種類が圧倒的に少ない。食べられるものを○、食べられないものを×であげてみると、こんな感じだ。
・肉類・・・牛肉○、豚肉?、鶏肉×、当然熊本の名物である馬肉も×(豚肉は出てきたことがほとんどないが本人は平気だと言う)
・加工品・・・ソーセージ○、ベーコン○、ハム○
・卵、乳製品、豆腐・・・卵○、牛乳○、豆腐○、豆乳×
・魚介類・・・鮭○、鯛○、ヒラメ○、カレイ○、それ以外のものは全部×(青魚、マグロなどの赤身、海老、烏賊、貝類、すべて×)
・海藻・・・わかめ○、海苔○、ひじき×、もずく×
・野菜・・・トマト○、レタス○、ホウレンソウ○、キュウリ○、玉ねぎ○、じゃがいも○、にんじん○、さつまいも○、さといも○、ナス○、しいたけ○、えのきだけ○、白菜○、カボチャ○、キャベツ○、大葉○(左記以外の野菜はまず出てこない。大人になって不思議になり聞いたところ、ピーマン、小松菜、ゴーヤといった苦みがあるものは嫌いらしい。ニラ、ニンニク、唐辛子もダメだという。どおりで子供時代の餃子はパンチがなかった。)
・発酵食品・・・味噌○、納豆×、漬物×、キムチ×、ヨーグルト×
書きだしてみると、意外と○のついた食べられるものが多かった。
普段一緒にいると、更に種類が少なく感じるのだ。
ちなみに野菜は、色々と書いたが、年をとったら面倒になったのか、トマトとレタス以外の野菜をほぼ見かけなくなった。
我が家では、子供の時、ほうれん草のお浸しが常備されていたが、今思えば良かったと胸をなでおろす。
だしに浸したわけでもなく、ただ茹でただけなので、当時は好きじゃなかったけれど、さすがにトマトとレタスでは成長期の子供に対して栄養バランスが悪すぎる。
そう、世の中の育児なんたらはどこ吹く風の彼女は、
「自分が苦手なものは決して食卓に出さない」
ということについて、徹底していた。
鶏肉が好きな私は、鶏が食卓に出てこないことが悲しく、祖父が買ってきてくれたケンタッキーフライドチキンが美味しすぎて感動したのを覚えている。
兄は大人になってから「外で食べてきて」と言われると、必ずリーズナブルなお寿司屋に行くようになった。家では、好物の生の魚介が一切出ないからである。
だが今思うと、不思議なこともある。
離婚したときに持って帰った食器の中に刺身皿のセットがあった。3~4歳でうっすらとした記憶しかないが、父が刺し身を好きだった気が何となくしている。
母の実家では父の話は禁忌だったので、確認するすべを持たないまま、納戸に何十年もしまわれた刺身皿を、不思議な気持ちでよく眺めていたのを思い出す。
また離婚して帰ってからのことだが、祖父のために自家製ヨーグルトを作っていた。
ヨーグルトメーカーなどない時代で、種を入れた鍋を毛布でくるんだり、なかなかに面倒な手順だったと思う。そんなにして作っても、母は1口も食べない。
私の家系では珍しい、夫や父親のため、というより好きな人のために尽くす、古風な人なのかもしれない。
そしてパンとお菓子が大好き
母の偏食は嫌いなものが多いだけにとどまらない。
お菓子とパンが好きだ。とても好きなのだ。
しかもこちらは幅広く好きである。
食べたことがないものにも好奇心を持っている。
家には地元の百貨店で買ったお菓子が常にある。叔母もお菓子は好きなので、欠かしたことはない。
しかも北海道や東京から来る催事があると、毎日のようにそこでお菓子を買ってくるらしい。
帰省した日も、前述した小鳥のような食事をしたあとに、東京のバタープレスサンドと兄の手土産の和菓子、両方とも食べていた。
ちなみに間食の頻度も高くて、朝食後、昼食前、夕食前、夕食後と、パンやお菓子をちょっとずつ食べている。すべて百貨店で買った少しお高めの物が多い。
ちなみに母の好き嫌いは外食時に最も発揮される。旅先や熊本市街地で外食するときのことだ。
コースにしろ、和食の御前スタイルにせよ、とにかく食事を残す。たいてい嫌いなものが入っているからだ。
あらかじめ伝えて外すこともあるが、キリがないので本人もあきらめている。
今回の帰省で2日目は外で食事しようと、叔母に言われた。
「せめて母が食べられるもので」と洋食をリクエストした。
よく利用する天ぷら屋があるのだが、海老がメインなのに当然食べられない。ご丁寧に、〆のご飯に添えられたかき揚げにも、海老や烏賊がたくさん入っているので、ほとんど残す。あまりに可哀想だ。
「グラタン、カレーライス、ハヤシライスなら好きなはず。」
そう思って洋食、特にカレーで有名なお店に出向いたが、いかんせん良いお店は肉が大きい。肉を1つだけ切り刻んてほぼ残したうえに、前菜のアワビは叔母の胃に収まった。
しかしデザート。
母は生き返ったように、ニコニコと微笑み、「焼きプリンで!」と躊躇なくオーダー。
私は、とても胃が苦しい。母の分までカレーを食べることになったからだ。
「(さっぱりと)ババロアで…」というと、「じゃあ私も」とババロアに変えて、わたしがトイレに離席している間にペロリと食べ終わっていた。
ちなみに途中で、パンを叔母が「食べる?」とバターを付けて渡したら、無言で受け取って食べていた。おいおい、キノコのスープを半分以上残したのにかよ!
「パンは好きだからね。パンは食べるのよ」
2歳しか変わらないのに母よりずっと若く見える叔母は、苦笑いしてこう言った。
叔母との関係
叔母は味と調理方法にはうるさいが、あまり好き嫌いはないようだ。
ちなみに驚くことに叔母は管理栄養士である。しかもまあまま地元では名の通った人で「先生」と呼ばれる立場にある。
「食事は楽しくなきゃ意味がない」
母と暮らす叔母はそういう信念がある。他の栄養士に食事指導をされてうんざりする患者さんに助け船を出すこともあるらしい。
だから他のことについてはかなり主張が強い人であるのに、母の偏食についてそこまでは口を挟まず、食べられるものを食べればいい、トータルでどうにかなっていればいい、と思っているところがある。
食事の用意を母に頼っていたからというのもあるかもしれない。
それでも見かねてたまに小言を言う。あまりにタンパク質の摂取が少ないと言うのだ。
以前、「もう少し肉を食べないと」という叔母は、「ベーコンと卵を食べてる」と言い返されていた。
ちなみに、母はベーコンもハムも気にせず食べる。何なら普通の肉より積極的に好きな方だ。加工肉食品は悪と思っている意識が高い人が見たらひっくり返りそうな話である。
本当の幸せ
母は決して健康ではない。
80代でも生き生きと暮らす人と比べたら、見た目はかなりおばあちゃんだと思う。かなり以前から背中も曲がっているし、髪の毛も薄くなっている。
元々運動神経が怪しいのだが、よく転んでけがをする。
今は静脈瘤があるそうで、普通に歩くのもだいぶ怪しくなってきた。
だが、しっかり自分で手足を動かして生活しようとするし、頭の回転がとても早い。
記憶力も驚くほどしっかりしている。
重い病気になったこともない。
母の話で興味深かったことがある。
戦後、何も食べるものがない時代に、烏賊の塩辛を食べたという。
「こんなに美味しいものが世の中にあるのかと思ったよ」
烏賊、そして塩辛!
今の母では考えられない食べ物である。
「それが不思議だね、今では食べようとも思わないのだから。」
戦争を生き抜いた人が言える言葉だと思った。
彼女を見るたびに思う。
人はストレスを持たずに食べたい物を食べるのが一番大事なのではないかと。
健康のためにとか、○○を食べなきゃとか、追い立てられるような食べ方をする人と比べて、どちらが幸せだろう。
そして、明らかに母は、幸せなお年寄りなのである。
「ストレスのない食事が一番大事なんだね」
相変わらずの母の偏食ぶりを東京に帰ってから話すと、夫は感慨深げに、こんな風に感想を漏らした。まったくの同意である。
娘としてどうなんだ、親の健康が気にならないのか、と思われるかもしれないが、母はこれでいいと思っている。
できれば好きなパンとお菓子をずっと食べ続けてほしい。食べながら、長生きしてほしい。