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文字を持たなかった昭和 帰省余話14~温泉、おまけ

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 最近は、そのミヨ子さんに会うべく先月帰省した折りのできごとなどを「帰省余話」として書いていて、この数回は、親孝行の真似事のつもりでミヨ子さんを温泉に連れて行ったときのドタバタを披露した(温泉その一)。その温泉関連で補足しておきたいことを。

 帰省期間中に、もうずいぶんご無沙汰している地元の同期生とも会った。その一人Mさんは、「温泉その二」で触れた、地元の温泉施設「市来ふれあい温泉センター」の家族(介護)湯を「ときどき母親を連れて利用する」という友人で、「利用上の注意点や使い勝手をよくするコツなどを、メールでたくさんレクチャーして」くれた相手である。

 会って早々彼女から
「家族湯、どうだった?」
と訊かれた。来るだろうと覚悟していた質問だ。ホテルのチェックインに手間取りタッチの差で入れなかったこと、日曜日は家族湯全般がとても混むらしいこと、そして大浴場でのあれこれを報告し、
「せっかくいろいろ教えてもらったのに、ごめんね」
と謝ると、残念そうな表情を見せながらも
「日曜日はそんなに混むんだね。ウチは日曜日に行ったことがないから」
と驚いていた。

 今回介護用の家族湯は使えなかったが、事前にだいぶ勝手がわかったし、ほんとうにMさんには感謝している。彼女のレクチャーがなければ、温泉の利用自体を躊躇したかもしれない。

 温泉センターでもたくさんの人のお世話になった。

 車椅子の預かりを快諾し、大浴場までの上り階段の介添えを手配してくれた受付の女性スタッフ、階段で介添えしてくれ、浴場からの帰りすぐに車椅子を持ってきてくれた女性スタッフ。

 杖をついて脱衣場に入ったミヨ子さんに、すぐに椅子を譲ってくれた人。洗い場を譲ってくれたり、利用上の「コツ」を伝授してくれたりした人。洗い場でも杖をついてゆっくり移動するミヨ子さんを、それとなく見守り、何かあったら声をかけようとしてくれた人たち。体を洗っている間、気さくに話しかけて世間話で楽しませてくれ、「娘さんと温泉に来られてよかったですね」といっしょに喜んでくれた人――などなど、親切に、あるいはそれとなく気配りしてくださった、利用者の皆さん。

 そして、温泉の帰り、入口のドアを開けるのと車椅子の操作を同時にできず、大声で助けを呼んだら、飛んできて二人がかりで手助けしてくれた「吹上浜フィールドフィールドホテル」の男性スタッフ。

 補足ついでに。温泉センターは 「どうやら隣にあった国民宿舎が撤去・売却されて新しくグランピング施設ができたのに合わせて経営をてこ入れしたらしく、サービス面でずいぶん以前と変わっている」と書いた。もともと簡単な食堂はあった気がするが、経営(委託先)が変わり、「桜島フェリー」の船内や待合所で営業していることで鹿児島県民に広く知られている、うどん・そばの老舗「やぶ金」が入っている。

 ミヨ子さんの介添えをしてくれたスタッフや彼女を呼んだ受付の人も「やぶ金」の人だった。受付の隣が「やぶ金」の厨房なのだが、施設とほとんど一体らしい。にこやかできびきびした対応に、どれだけ救われただろう。ちいさな町で、こうして若い人が元気に働いていることもうれしかった。

 ときどきに助けてくださった皆さんとの出会いがなかったら、あの日の温泉の楽しみは半減、下手すると嫌な思い出になっていたかもしれない。人は人に生かされているのだと、しみじみ思う。袖すり合うも他生の縁。この場を借りて、あの日のすべての出会いに心からの感謝を伝えたい。

《写真は温泉センターのタオル、販売価格200円。隣のホテルに宿泊するとアメニティとしてもらえます》


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