文字を持たなかった昭和 続・帰省余話31~デイサービスの威力

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 今度は先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、ミヨ子さんとのお出かけを振り返った。数年前郷里にできたグランピング施設に宿泊したときは、夕食に行く直前客室のトイレでミヨ子さんは「間に合わ」なかったりと、1泊の間にけっこう失敗してしまった。よかれと思って企画した親孝行のつもりのお泊りだったが、宿泊先でふだん使わない車椅子にずっと乗せていたため、ミヨ子さんの脚力の低下を招いたようで、二三四(わたし)は深く反省した。

 お泊りから帰った翌々日はデイサービスの日で、迎えにきてくれた若い男性スタッフのプロらしい対応に頭が下がる思いの二三四だった。

 夕方、デイサービスの車がミヨ子さんを送り届けてくれた。朝とは違う女性スタッフで、この方もはきはきしつつも当たりは柔らかく感じがいい。玄関先で迎えたミヨ子さんは、朝出かけるときより足元がしっかりしている。
「今日は、歩行器で歩く練習をしてもらったんですよ」
とスタッフさん。なるほど、プロの判断と対応にかかれば、お年寄りでも半日でこんなに改善するのか、と二三四は感動する。

「あ。お昼ご飯は、完食でした」
と補足するスタッフさんの笑顔から、ミヨ子さんがお昼はいつも残さないこと、なによりデイサービスに楽しく通っていことが窺える。自分の母親が日々、いろいろな人たちに支えられていることを改めて実感し、二三四はしみじみ感謝した。

「お帰り。デイは楽しかった?」
と二三四が訊くとミヨ子さんはうなづき、
「これ、お茶の時間にもらったから、あんた食べなさい」
おやつにもらったお茶菓子――ブルボンのルマンドを差し出した。パッケージは、ミヨ子さんの好きな紫色だ。
「お母さんがもらったんだから、お母さん食べて」
いくつになっても、どんなときでも自分より子供を優先しようとするミヨ子さんに、鼻の奥がツンとする。ミヨ子さんはそういうふうにずっと、自分よりも周りを優先させてきたのだ。

 デイサービスでの歩行練習が功を奏したのだろう、二三四の残りの帰省期間にもミヨ子さんの脚力は少しずつ改善していった。娘の親孝行まがいの行動より、プロの、とくに日常をよく知った方々のサポートのほうが、ご年配者にはずっと頼りになるということだ。デイサービス恐るべし。

※前回の帰省については「帰省余話」127

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