文字を持たなかった昭和 二百二十四(暖房その三、囲炉裏端にて)
囲炉裏について書いているいるが(囲炉裏、囲炉裏端)囲炉裏端での二三四(わたし)の思い出に触れておきたい。
囲炉裏には木しかくべないので、灰はいつも真っ白で細やかだった。物心つく頃には絵を描くのが好きになっていた二三四は、やわらかく積もった灰を見ると小枝などで何か描きたくなった。いちばん怖かった祖父の吉太郎が家の中にいないのを見計らって、灰の表面に線や丸を描いているうちに夢中になり、
「何をしてるんだろうね?」
という吉太郎の声にびっくりして、小枝を放りだしたこともあった。
暖をとる囲炉裏は、当然火を扱う場所でもあるので、二三四の家に限らず、子供が不用意に近づかないよう大人たちは気を使った。ちょっと目を離した隙に囲炉裏に落ちたり、落ちないまでも火傷したりは、ある意味「よくある話」でもあった。代表例は、囲炉裏に落ちて左手に火傷を負うというハンデをバネに医学への道を進んだ野口英世だろう。
もちろんほとんどの庶民にとって、子供が大火傷を負うことは、医療費のみならずさまざまに負担が増えることを意味したから、囲炉裏、ことに火を起こした囲炉裏の近くで子供が遊ぶことには神経質だった。やんちゃだった上の子(兄)の和明が囲炉裏端でふざけたりしていると、大人たちから厳しくしかられた。吉太郎に至っては持っているキセルで頭を叩いたりもした。
二三四はわりと大人しかったので、和明が「仕掛けて」こなければ自分から走り回ったりはせず、囲炉裏端での行儀で叱られた記憶はほとんどないが、寒い季節に囲炉裏のほうへ足を投げ出して座ることはあった。そんなとき吉太郎は、和明に対するようにキセルを振り上げるのだが、さすがに女の子を叩くのはためらわれたのだろう、キセルを持った手をぶるぶる振るわせて歯ぎしりした。
もっとも、その姿だけで幼い二三四には十分に「脅威」であり、「家の中でいちばん怖い人」という吉太郎の印象はより深まった。