文字を持たなかった昭和 帰省余話25~戸籍(おまけ)
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
このところは、そのミヨ子さんに会うべく先月帰省した折りのできごとを「帰省余話」として書いてきた。前の2項では帰省期間中に自分につながる家系の戸籍(除籍謄本)を多数入手し、それらを見たときの感慨に触れた。戸籍をていねいに見ているときりがないほどいろいろな発見があり、それぞれ感慨もあった。
一方で引っかかったこともある。それは、親族内の関係性や個々のプロフィールについて、自分が伝え聞いてきたこと、あるいは勝手に理解して(思い込んで)きたことと異なる内容もなくはなかった点だ。ドラマや映画などでよくある、結婚や就職のために戸籍を取り寄せてみたら、自分と両親は血縁関係になかったとか、きょうだいとは親が違った、というような深刻なものではなかったが、ちょっと違和感が残る箇所があったのだ。
当時日々の暮らしを営んでいた、2~3世代前の親族の皆さんにしてみれば、それぞれの事情があって、当然のこととして、あるいはやむなく、戸籍に入れたり外したりしたのだと思う。戸籍からは「どういう事情で」という部分は限られた事実しか記載されておらず、基本は結果(状態)のみなので、後の世代は――古い戸籍を見る機会があれば、だが――その結果をそのまま受け入れるか、せいぜい事情を憶測するしかない。
でも当時の人びとは、たとえ親族であったとしても、後の世代が興味や関心を動機に戸籍を「調べる」ことは想定していなかっただろう。そう思うと、なんだかご先祖のプライバシーを覗き見しているような気分にもなった。もし自分の後の世代が、たとえば家系図を作るという理由であったとしても、自分の戸籍の変遷を仔細に調べたらどんな気分だろう。
もちろん戸籍(除籍謄本)に記載された人びとは、ごく少数を除いてもういない。でもあの世に行ってからご先祖の皆さまに
「お前、悪趣味だよ」
と言われないか気になっている。