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文字を持たなかった昭和 九十八(続「あく巻き」の思い出)


「あく巻きの思い出」から続きます】

 縷々述べてきたように思い出深い「あく巻き」だが、保存食品ゆえ「大量に作り、長期にわたって食べる」という宿命を持つ。子供の舌にはさほど「おいしい!」と思えなかったうえ、毎日のおやつに出てくる。ある程度の年齢になったら、自分で竹の皮を開き、棕櫚の紐を咥えて切り分ける。母親が調合し器に入れてあったきな粉は、湿気て部分的にどろっとしていたりする。それをつけて、来る日も来る日もおやつは「あく巻き」。

 保存食品とは言っても、梅雨入りした鹿児島で常温保存した「あく巻き」の竹の皮には、カビが生えてくる。皮だけならまだいいが、やがてもち米のほうにもカビの根が伸びるのだろう、中身も柔らかくなってくる。こうなるとちょっと食べたくない。が、米を捨てることは農家にとって死ぬより苦しい。中身だけゆで直して食べることもあったが、味が抜けてまったくおいしくない。でも文句は言えない―――。

 というわけで、わたしにとって「あく巻き」の思い出は、懐かしく美しいばかりではない。それでも、たまに帰省したときや東京にある鹿児島のアンテナショップで見かけたら、やはり心が動く。もち米を洗うところから母や祖母といっしょに作業したときのさまざまな印象や感情が、心の奥深くに残っているからだろう。

 ところで、「あく巻き」にカビが生えないように、と冷蔵庫で保存してはいけません。もち米が固くなり、中心部も白っぽくなって、冷やご飯のように固くなるのだ(アルファ化したでんぷんがベータ化してしまう?)。その場合は、切り分けてから軽く電子レンジにかけるとよいでしょう(わたしもやります)。

 切り分けるときは、ぜひ「あく巻き」を括ってある棕櫚の紐をお使いください。

※写真は かごしまの食>あくまき からお借りしました。

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