文字を持たなかった昭和 二百四十二(正月支度――年の市)

 昭和中期の鹿児島の農村、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)たちの正月支度として、衣類の購入について書いた(新しい衣類同・続き)。

 正月支度の買い物で特筆しておきたいのは、年の市だ。読んで字のごとく、年の瀬のみに立つ市である。市が立ったのは下の子の二三四(わたし)が小学校に上がった頃までだっただろうか。だとすれば昭和40年代の半ばくらい、概ね1970年頃までである。子供だった二三四の記憶に基づくので全体の印象はぼんやりしている点は大目に見ていただきたい。

 年の市が立ったのは、ミヨ子たちが住む農村部ではなく町内の商業地区のほうだった。表通りから少し入ったところだったか、通り一帯にさまざまな出店が並んだ。売っているものも多種多様だが、夫の二夫(つぎお)たちが真っ先に見るのは、鍬や鎌といった農具を売る店だった。鉄の部分に錆止めの油が塗られたピカピカの農具が整然と並んでいる様を見るだけで、二夫たちの心は浮きたち、新しい年の豊作を約束されたように思えた。

 ミヨ子たち主婦は、ザルやカゴ、台所用品といった生活用具を中心に見て回った。近所にあるのは「マッちゃんち」のような食料品店兼日用品店だけで、こういう「荒物」を専門に扱っている店はなかったから、ほしいものがあれば年の市まで待って調達した。

 もっとも、町内の商業地区の荒物屋や隣り町の百貨店に行けばちゃんとした日用品がいつでも買えるのだが、ミヨ子たちのような農家の主婦には、自由に外出できる足、つまり交通手段がなかったし、そもそもほしくなったら買えばいい、という生活習慣自体がなかった。

 年末に市が立つのは農家にとっても都合がよかった。秋の作物、とりわけ米を売ったばかりでまとまったお金が入ったところだからだ。逆に、ふだんはできるだけ出費を切り詰め、米を売ったお金が入るタイミングでまとめて買い物するサイクルだった、とも言える。

 南国とは言え12月の冷たい風の中、屋外の出店を見ながら歩くのは快適とは言えなかったし、ただでさえ慌ただしい時期ではあるが、農村部の人たちのみならず町内の人びとにとって、年の市に繰り出すことはあまたある年中行事の中でもかなりのビッグイベントだった。


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