文字を持たなかった昭和 百七十九(秋の収穫――サツマイモ)
「つぶやき(秋の収穫期に)」で「具体的な収穫風景を書こうとして、稲刈り以外はあまり鮮明に思い起こせないことに気付いた」と書き、その後運動会やお彼岸の話題が続いていた。昭和期後半、母ミヨ子たちと共にした収穫風景についてもちろん思い出がないわけではない。そのうちのいくつかを書いておきたい。
まず、サツマイモ(鹿児島弁ではカライモ)である。
初夏の頃に植えつけたカライモを、ミヨ子たちはそれほど手入れしていなかったように思う。もとよりカライモは自宅での消費が中心で、畑の一角の何本かの畝に植えることが多く、たまたまたくさん植えつけた年や、たくさん穫れた年には、農協や市場に出すという感じだった。
カライモは肥料をやらなくてもいいし――正確には、植え付け段階で施肥するが基本的に追肥はしなくてよい、らしい――、水はけのよい土壌を好む性質は、火砕流台地のシラスが多い鹿児島にはうってつけである。
植えつけのときは、畝の土にツルを斜めに植えて(差し込んで)いく様子が、子供の二三四(わたし)にはとても興味深く、こんなものからイモができるのか、と不思議に思ったものだった。その短かったツルはやがて畑一面に広がり、朝顔に似た小さくて白い花をつける〈118〉――。そして秋になるといよいよ収穫だ。
収穫前にイモを掘りやすいように畝に鍬などを入れたかは思い出せないのだが、園芸などのサイトを見ると、余分なツルを切って、土を掘り起こしてから収穫する、とあるので、父の二夫(つぎお)などの男手で鍬を入れていったのだろう。
土を掘り起こしてはあっても、畝にしっかり根を張ったツルを引いて、大きく重くなったイモを掘るのはやはり簡単ではない。ツルを引っ張ると、大小のイモが次々に地面に現れる。まさに「芋づる式」だ。最初はいいが、同じ作業を繰り返していくと腰が痛くなる。
もちろん、地面に現れたイモは拾っていかなければならない。大小のイモをカゴにまとめていく。カゴがいっぱいになるととりあえずその場に置いて新しいカゴに入れていく。
イモを集めるのはミヨ子や子供たちの仕事だった。最後に二夫がそれぞれのカゴを耕運機に積み込む。これでイモの収穫は一段落だ。
二三四にとってのイモ掘りの思い出は、ツルの切り口やイモの表面の傷などからベトベトした汁が出てきて、手にくっつくことだった。牛乳のような見た目はおいしさの表れのようにも見えたが、土がついて真っ黒になるうえ、洗っても落ちにくい。
難儀して掘ったカライモは、大きいものは出荷や長期保存に回し、小さいものからふかしイモやイモごはん、天ぷら、おやつなどで消費していく。しかもそれがずっと続く。だから二三四にとってカライモは「一生分食べた」という思いが強い。
その言いぐさは、百姓なのに自分の土地を持たず食べるものに事欠いた祖父(吉太郎)たちの世代からすれば、ぜいたくなものであることをわかってはいるのだが。
なお、サツマイモのおやつや食べ方については3回ほど書いた。ご興味あればどうぞ。
「百五十四(おやつにふかしイモ)」「百五十五(おやつにサツマイモ)」「百五十六(行事食にサツマイモ)」
〈118〉サツマイモはヒルガオ科、花が朝顔に似ているのは当然だ。