文字を持たなかった昭和 二百七十(手作りの乾物―ぐいぐいみっ、の食べ方)
昭和中期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)を中心に庶民の暮らしぶりを書いている。前項では、冬場に作る保存食品としての乾物のひとつ、桜島大根を干してかんぴょう状にした「ぐいぐいみっ(ぐるぐる剥き)」について書いた。
二三四(わたし)が大学卒業後東京に出てきて、のり巻きの具として見て食べた時の新鮮さ、かんぴょうそのものの作り方を知ったたときの驚き。どちらも「ぐいぐいみっ」そっくりだったことも。
そう、「ぐいぐいみっ」はかんぴょうによく似ている。白くて長い紐状の外見もそうだし、食べ方も。
「ぐいぐいみっ」を戻すには常温の水に数時間漬けておく。これはかんぴょうより簡単かもしれない。戻したら、食べやすい長さに切る。あとは味付けにした煮物に入れることが多い。というか、これ以外の食べ方を思いつかない。たいていは、イモ類や根菜、厚揚げ、結び昆布などとともに煮しめにする。大根として入れるより味が濃く、煮崩れもせず、季節を問わない点が使いやすい。
一方かんぴょうは、単独で煮て甘辛く味付けし、のり巻きにすることが多いのではないだろうか。二三四がそれ以外の使い方を知らないだけかもしれないが。いずれにしても、戻して煮つける点は同じだ。
「ぐいぐいみっ」は切り干し大根に似ているが明確に異なる。なにより独特の甘みは、桜島大根ならではだろう。二三四にとっては郷愁を誘う味だ。 ちなみに「ぐいぐいみっ」をインターネットの鹿児島弁辞典で探してもみつからない。やはりミヨ子たちの地域だけの呼び方だったのかもしれない。