文字を持たなかった昭和 帰省余話12~温泉その三
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。
このことろは、そのミヨ子さんに会うべく先月帰省した折りのできごとなどを「帰省余話」として書いている。ミヨ子さんの夫・二夫さん(つぎお。父)の十三回忌のあとには、ミヨ子さんを温泉に連れて行った。地元の宿泊施設に泊まり、温泉センターの家族湯(介護湯)でゆっくり温泉を楽しんでもらおうと、用意周到で臨んだつもりだったが、タッチの差で先客に入られてしまい、夕食時間と重なりそうな雲行き。
とりあえず、温泉センター隣のホテルのロビーで待たせたままのミヨ子さんのところに戻り、ホテルで借りた車椅子を推して3階の客室に入った。客室はダブルベッド2台の4人定員だが、ミヨ子さんと2人で使用する。いわゆるオーシャンビューで、東シナ海に沈む夕日がバルコニーから一望できる、という触れ込みだ。しかし、「ビュー」を楽しむ余裕は、いままったくない。
マウンテンビュー側、ダブルベッド1台の小さめの部屋をとった連れとも相談し、ダメ元で温泉セターの大浴場へ行ってみることにした。大浴場は階段を上がった2階にあるため、ミヨ子さんの脚が弱っていることを考慮し、今回まったく選択肢に入れてなかったのだが、この際やむを得まい。ちなみにメインがグランピング施設であるホテルの客室には、シャワールームはあるがバスタブがないのだ。「お風呂は隣の温泉センターでゆっくりどうぞ」ということだろう。
ミヨ子さんには詳しくは語らず――というか簡単に説明する余裕すらなく――「先にお風呂に行こうね」と声をかけ、上だけホテルのパジャマに着替えてもらう。お義姉(ねえ)さんが持たせてくれた着替えや大人用パンツも持った。パジャマに着替えてはいても、タオル類や下着、洗面道具が二人分になるとかなりかさばる。
車椅子を推しながら連れといっしょに1階へ降り温泉センターへ入る。ホテルと温泉センターは隣り合っているとは言え、それぞれの通用門を通過するため車椅子を推しながらではとても不便だ。もっとも車椅子の上のミヨ子さんは、状況を飲み込めず「されるがまま」状態ではある。
ホテル宿泊者には温泉センター大浴場入り放題のチケットが出る(家族湯も割引券がもらえる)。受付にチケットを提示し、本人が大浴場までの階段を上れるようなら、さっき予約した介護湯はキャンセルしたいと申し出る。受付のお姉さんはとても親切で、別のスタッフを呼んで車椅子の預かりや階段での介添えをすぐに手配してくれた。
車椅子を下りたミヨ子さんの手を引いて、手摺に掴まらせながら、一段ずつ階段を上る。ミヨ子さんの足取りは意外なほどしっかりしていて、2階までの階段を上り切った。介添えしてくれたお姉さんは
「下りる時必要ならまた声をかけてください」とにっこり。ありがたや。
大浴場の脱衣場は、日曜の夕方という時間帯のせいかかなり混んでいた。んー、洗い場は確保できるかしら。ミヨ子さんをベンチに座らせてから服を脱がせ、自分もバタバタと服を脱ぎ、二人分の小さいタオルと自分の洗顔料だけ持って洗い場へ向かう。せっけん、シャンプー類は洗い場に備えつけてあるのだ。ミヨ子さんの外出用の杖も持ってきたので、杖ごと入場する。
洗い場もけっこうな混雑だ。しばらく裸で待たなきゃかなあ、と思ったそのとき、いちばん入口に近い洗い場にいた奥さんが声をかけてくれた。
「ここ、もう空きますから」
風呂椅子を探し、奥さんの近くにミヨ子さんを座らせて待たせてもらう。奥さんが洗い場を立った。あとの洗い場を、ありがたく使わせてもらう。人情が身に浸みる。
と、しみじみするヒマはない。ミヨ子さんの体を洗ってあげなければ!