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最近のミヨ子さん(実家跡にて)
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
たまに、母の近況をメモ代わりに書いているが今回もそれ。
7月下旬、母と同居している兄から「今週末は母ちゃんを連れて実家跡に行ってくる」とメッセージが届いた。わたしが「最近お母さんを実家跡に連れて行ってる?」と尋ねたことを気にしていたのだろう。
日曜日の昼、兄の携帯から電話があった。慌てて出ると
「母ちゃんに代わるから」
と愛想のない一言のあと、母が出た。電話の向こうで「ちゃんと持って、そこを耳に当てて」と毎回同様の「指導」が入る。
「屋敷跡に連れていってもらったの、よかったね」とわたし。
「お寺さんにも行ったよ」と母。
「(亡くなってお寺のお墓に入っている)お父さんは、何か言ってくれた?」
「んーーー。何も(笑)。わたしの気持ちが足りないのかねぇ」
「そんなことないでしょ」
「いまね、弁当を食べてたの。庭の柿の木の下で。ちょうど陰になってるからね。(義姉が)二つ持たせてくれてね」
「手洗いの大きな石があったところね。柿の木も大きくなってるだろうから、いい陰になってるでしょう。お弁当おいしかった?」
「うん、おいしかったよ」
「ごはんはいつもおいしいんでしょう?」
「そう、ごはんはよく食べる。ときどき『もうそのくらいでいいんじゃない?』って言われる」
「あはは。お腹いっぱいじゃなくて、腹八分目か九分目にしといたら」
「そうだね」
そしてふいに
「雲が大きい。真っ白い雲がどんどん大きくなる」
明治前期生まれの祖父が働きづめに働き、大正時代に買った大きな家屋はいまなら「古民家」といった風体だったが〈167〉、母が兄たちと同居を始めてしばらくしてから撤去してしまった。跡地には兄が果樹を植え、もともとあった畑で家庭菜園を楽しんでいる。電柱もなく、頭上を遮るものは以前から植わっていて、それぞれ丈が高くなった樹々くらいだ。空も大きく見えるだろう。
突然雲の話をした母の目には何が見え、頭の中で何とどうつながっているのだろう。母が考えていることと、自分が伝えたいこと、知りたいことが微妙に噛み合わないのがもどかしい。
でも、住み慣れた場所で、吹かれ慣れた風の中にいて、どんなにくつろげていることだろう。その時間を堪能してくれたらそれでいい。
そしてその時間を作ってくれた兄――せっかちで不愛想だが、心根はやさしい――にも、おいしそうなオムライスのお弁当を作ってくれた義姉にも、心から感謝している。
〈167〉家屋など屋敷の様子は「八十一(屋敷)」で述べた。
※写真はお弁当を食べるミヨ子さん。