最近のミヨ子さん(いよいよ?)
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまに、ミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。
先だって、久しぶりに兄からのグループにグループメッセージが入った。
「母ちゃんは体は大丈夫だけど、認知のほうの問題が増えた。ご飯のあとでも台所のものを食べようとするのは前にもあったが、水と間違えて焼酎を飲もうとしていた。いちおう、知らせておく」
まあ……そんなこともあるかもね。焼酎は兄が好きなので食卓の近くに置いてあるし。と思いながらも、知らせてくれたことへの感謝を書き込み、
「(ミヨ子さんが家にいる間はずっと様子を見てくれている)お義姉さんにも負担かけてるのではないかしら」
と返しておいた。
翌朝グループメンバーでもあるお義姉さんから
「同じことを何回も言わないといけないのが、私たちも苦痛になってきました」
とあった。
お義姉さんはさばさばした性格で、たいていのことには動じない。ミヨ子さんのことでも、これまで想定外の行動をする度に
「ま、様子を見ましょう。汚れたら片づければいいんだし、いちいち言っても治るわけじゃないから」
とある意味鷹揚に構えてくれていた。それによって、周囲、とくに娘のわたしはどれだけ助かってきたか。
しかし今回はついに「泣きが入った」ようにも受け取れる。メッセージのやり取りの続きには、施設入居の予約の話まで出てきた。
「いよいよかなぁ」
施設に入ってしまったら、いままでみたいに電話やビデオ通話もできなくなるだろう。こまめに手紙を出すくらいで思い出してくれるだろうか。何より、ふだんの様子を窺い知れなくなるであろうことが残念だ。
でも、周囲から「困った」と思われながら生活するのと施設とではどちらがミヨ子さんにとって幸せなのだろう。そもそも自分が置かれている状況をどう感じるのだろう。
Eテレの「ようこそ認知症世界へ」では、認知症の方が「どう感じるか、どう見えているか」などを場面設定して解説してくれていて、認知症そのものやどう対応したらいいのかへの理解が深まる。ただミヨ子さんも、解説のとおりなのかは、わからない。ミヨ子さんの状態を推測するのは、霧の中で何かを探すような感覚だ。笑ってくれたらほっとするけど、どう感じているから笑うのか、わたしはわからないままだ。
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