文字を持たなかった昭和 七十一(田植え機)
田植えのための苗つくりも、できた苗も、手植えと機械植えではまったく違っていて驚いたことに触れた。
田植えの機械化研究が進んだのは昭和30年代、昭和40年代にはその実用化が進み、田植え機が普及し始める。昭和50年代には乗用タイプの田植え機が出現し、作業は高速化へと向かったらしい。ミヨ子たちの家、つまりわが家に田植え機がやってきたのは、昭和40年代の半ばくらいだと思う。遠戚が大手農機具メーカーYの代理店を始めたこともあり、わが家の農機具はこの頃からY社製を使うようになった。
苗つくりの話に戻る。
作り方から全く違っていて、浅いパレットのような箱に、折りたたんだリボン状不織布のような苗床が敷き詰められ、そこに種籾(たねもみ)を撒いて苗を育てていったと記憶している。田植えのときには、成長した苗が植わっているリボンを田植え機の爪で少しずつ削り取って植えていくのだ。
途中の記憶があいまいなのだが、パレットは大きくなるまで納屋に置いて育てたような気もするし、途中から田んぼの水に漬けてあったような気もする。10センチ近くまで苗を育てるには、田んぼに漬けたのかもしれない。
現在使われている田植え機では、苗床をそこまで「細工」しなくても対応できるようなので、あの苗床の作り方は、初期段階の田植え機で、その後機会も苗床も進化したのだと思う。
いずれにしても機械や最新農業技術の導入は、すべて二夫(つぎお。わたしの父)が仕切っていた。ミヨ子はその決定にしたがうだけだった。
《主な参考》
農林水産・食品産業技術振興協会>日本の「農」を拓いた先人たち>稚苗田植機の誕生、老農学者の最期の夢に応えた関口正夫の発明