母は精神疾患でした【詳細版】③|暴走する母と暮らした中学生時代
■中学生時代について
私が中学時代はの母は、病気の症状では説明がつかないほど、めちゃくちゃな状態でした。
というのも、私が小学校の頃の母は、苦しみながらも、病気と向き合い必死に治そうと自分でも努力していたのですが、私が中学生になると、自分に都合の悪いことがおきると、「だって私病気だから」と自ら病気のせいにしたり、相手の嫌がることをしてまで、何が何でも自分の要求を突き通そうとするようになったのです。
特に、お金に関しての執着は強く、入院中にも関わらず、私達の目を盗んでは散財を繰り返し、父に何度もお金を迫るようにもなりました。
例えば、
母が入院先から、父が仕事中にも関わらず、「お金が必要だから、今すぐにお金を病院に持ってきて」と何度も何度も電話をかけ続けたり
私や妹には「◎◎してくれないの?お母さんのことが嫌いなんだね。死んでもいいと思ってるんだね」と子供心を揺さぶるようなことを言ったりしました。
その一連の言動や行動は、こちらも「本当に病気の症状なのか?」と疑ってしまうほどでした。
母の行動には、どこか「狡猾さ」さえも感じられたからです。
それまで「病気で苦しんでいる母を助けたい」という思いで母のケアをしていた私ですが、そんな母の姿をみて、身と心を削ってまで母をケアをすることに違和感を感じ始めていました。
しかし、母は「こんなことしてごめん。こんなお母さん嫌だよね」と言って、涙を流して反省する様子もあったので
「やっぱり病気のせいなのか・・?」と私だけでなく、父も妹もどれが本当の母なのかわからず、戸惑いながらもケアを続けている状態でした。
なんだか精神的にじわじわと母に殺されていくような感覚でした。
■母が「何をするかわからない」恐怖
そんな混乱の中で、母の要求はますますエスカレートしていきました。
しかし私達家族は、母にどんなに無茶な要求をされても、それに従うしかありませんでした。
要求を断れば、母が何をするかわからかったからです。
こちらが要求を断ると、「今すぐ◎◎してくれないと死ぬから。いいの?」と自分を人質にとったり、
怒り狂って、車に乗り込み、バックで車を家に何度も衝突させて私達もろとも家を破壊しようとしたこともありました。(母が癇癪?を起こして出て行った‥と思ったらドーンドーンという音と共に家が揺れていました。それに気付いた時は、父と妹とを顔を見合わせて唖然としました)
いつか母に殺されるかもしれない、と本気で思いました。
■外泊(一時帰宅)にこだわる母
上記のように、母は家にいると何をするかわかりませんでした。
そのため、父は母を精神病院に入院させていました(私はよく覚えていないのですが・・以下父談です)
しかし、母は入院先から、何度も何度も「外泊(一時帰宅)させろ」と昼夜・仕事中問わず、父に繰り返し電話をかけていたようです。
父が「今はダメだ、家に帰っても悪化するだけ」と断っても、父がYesと言うまで、永遠に電話をかけ続けたり、時には携帯ではなく、会社にかけることもあったそうです。
家族だけでなく、周囲の人たちも巻き込み始めた母に、父はいよいよ手がつけられないと感じました。
母はとても外泊できる状態ではなかったのですが、外泊を断り続ければ、入院先からでも何をするかわからない(会社に電話をかけ、あることないことを言う危険もありました)ので本人要求通り、外泊させるしかなかったと言っていました。
そのため、母はこんな状態でも外泊(一時帰宅)することができていました。
感情のリミッターが外れた母の行動力はすさまじかったのです。
■母が家にいる時は地獄だった※閲覧注意
しかし、外泊したからといって、母の症状が落ち着くわけではありませんでした。
常に非日常的な出来事が起きました。
覚えている出来事を自分の気持ちの整理も兼ねて書いていきたいと思います。
◎母が車の排気ガスを吸引して自殺を図る
ある日、私が家に帰ると、母の車の排気口からホースが家の中にのびているのを目の当たりにしました。
衝撃でした。
ただ、「あぁ・・また、母が何かやったんだ」と嫌な予感がして、家の中に入りました。
しかし、そこに母の代わりに疲れ切った顔の父と呆然としている妹が座りこんでいました。
詳しく状況を聞くと、妹が学校から帰宅した際、上の画像↑↑のような状況で、意識不明の母がリビングに横たわっていたとのことでした。
母はすぐ救急搬送され、事なきを得ましたが、私はもう何が何だかわかりませんでした。
「ホースを自分の口に突っ込み、排気ガスを吸引して自殺を図る」という母の発想力と行動に驚きと恐怖を抱きましたし、その光景を目の当たりにした妹の心境を思うと、いたたまれませんでした。
◎学校から電話で呼び出され、母に無理心中を図られる
いつものように中学校で、休み時間を過ごしている時のことでした。
先生から「お母さんが電話で、妹さんとすぐに帰ってきてって」と声をかけられました。
私はとにかく嫌な予感がして、走って家に帰り、そっと玄関のドアを開けました。
待ち構えていたのは、異様な雰囲気の母でした。
詳細は覚えていませんが、その姿を見て恐怖を感じたのを覚えています。
心臓の音がドクンドクンと波打って聞こえました。
妹と顔を見合わせ、おそるおそる母のそばに行き、「・・・どうしたの?」と声をかけると
「今からお母さん、死ぬから」
「・・・もう決めた。今から3人で無理心中をする」
「だから2人とも覚悟を決めてね」
と母に言われました。
それを聞いた瞬間、私の中でそれまで蓄積されていた母に対する思い・感情が一気にこみあがってきました。
「無理心中?もう私は母に殺されるかもしれない」「こわいこわいこわい」「死ぬなら、わざわざ私達を呼んで宣言せずに1人で死ねばいいじゃん」「学校からわざわざ呼び出しといてその話?」「もういい加減にしてよ」「励ます言葉もない」「もうかまっていられない」「こっちの気持ち考えたことないの?」「結局、私が励ましたってまた同じことをするんでしょ」「今まで同じことを何度言ったと思ってるの?」
全て母にぶつけたかったです。
言葉がでかけましたが、必死に全部のみこみました。
「ぶつけたらだめだ」「言ったら終わりだ」「言ったらこの人、自責感にさいなまれて死んじゃうかもしれない」
必死で自分に言い聞かせました。
溢れかえる感情の行き場を失った結果、私はその場で無言で涙を流していました。
そのあとのことはよく覚えていませんが、最終的に母をなだめ、寝かせて、ずっと監視していたような記憶があります(無理心中というワードがでたのでほっておけば殺されると思いました)
◎風邪で寝込んでいたある日のこと
その日は、風邪をひいて学校を休み、朝から寝込んでいました。
当時家には母がいましたが、朝から母は干渉してこなかった気がします。
しかし、日が暮れる頃、リビングから突然
「〇△✖~(多分私の名前)!!!!!」
と叫ぶ母の声が聞こえました。
私は嫌な予感がして、体を起こしてリビングに移動すると、母がなぜかキッチンに立って怒り狂っていて、その怒りの矛先が私に向いていました。
訳がわかりませんでした。
私は朝からずっと寝込んでいて、母と接することはなかったからです。
私は怒る母をなだめましたが、母の怒りはおさまりませんでした。
そのまま、放っておいても良かったのですが、「母がキッチンにいる」という状況はかなり危険でした。
母が怒りに任せて「包丁で何かする」という危険があったからです。
そのため、せめてキッチンから母を追い出そうとしたのですが、感情のリミッターが外れた母をどうすることもできませんでした。
いつもなら、そんな状態の母から絶対に目を離さないのですが、その時の私は、高熱で身体を起こすのもしんどく、意識も朦朧としていたので、「この際、もう包丁で殺されてもいいや・・」と思い、怒り狂う母をそのまま置いて、寝床に戻りました(もう諦めていました)
母はしばらく一人で怒り叫んでいたのですが、急に寝ている私の所にやってきて「~~って言ってるやろ!!!!」と叫びながら、私の頭を蹴りました。
その後はよく覚えていません。
ただ、積み重なる母からの暴言、暴力、そして自己中心的ともとれる行動に、私の中に母に対する恐怖心と憎悪が募っていきました。
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