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1995.1.17


神戸で生まれて神戸で育った私は

毎年毎年1.17は思うことがたくさんあって

でも思うことがありすぎて

なんて書こうかなにを書くべきか

いろんな思いがあるのにまとまらずに

この日が終わる

なんてのをもう、何年繰り返したことか

今年で震災から26年。同い年

初めて文字に起こしてみます


1995年1月17日、私は生後4か月でして

自分自身の記憶なんて全く残ってなくて

両親や祖父母、先生などから聞かされたエピソードが

そのまま私の記憶になってるような感覚です



「揺れた時ぱぱの上にタンスが倒れてきて、、、」(無事です)

「じいちゃんは火事になってる家の人たちを救助しようとしたり、、、」

「家の中がぐちゃぐちゃになって、、、」

いろんな話を聞きました

でも

生まれてたった4か月の私は

本当に本当に大変な中でも

清潔にしてあげなきゃと、比較的無事だったおばあちゃんの家で

一人だけ暖かいお湯でお風呂に入れてもらえてたみたい

衣装ケースで笑


そんな話を聞くと胸がきゅっとなります


なんか、日本語がうまくでてこない


震災の日に生まれた同級生もいるし

お母さんを亡くした友人もいるし

その日は

私なんかが文字に起こしていいレベルじゃないことすぎて

その日を

自分の言葉でまとめるのが無責任なように感じて

自分の中で思いをぐるぐるさせてました


今もどきどきしながらこの文章を書いていますが

今、神戸が本当に強い街になってくれて

よかったと思うばかり

綺麗に復興された神戸しか記憶にはないけれど

いろんな人の、いろんな思いを風化させずに

これからも強くて美しい神戸でいてほしい


そんな街が私は大好きやし

今はコロナでなかなか旅行もできないけれど

いつかまたタイミングがあれば

みなさんぜひ遊びに来てください

みなとまち 神戸に




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