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今こそ、精神の運動を。
精神の動かした、精神の運動こそが知能を鍛える。
暗記でも、ロジックでもなく、人間はその本来の自由性において、
開かれた精神の無限の自由度の中から、
可能で有用な精神の動きを見出し、習得し、広めることで、
身体を超えて進化するのだ。
なぜ、デカルトが「精神指導の規則」という本を書いたのか、
論理主義でも、コギトでもなく、そこにあるのは、
近代における精神の運動の習得だった。
そして、
未来に対する最大限の自由性
計画性とは未来に対する最大限の自由性を行使することである。
時間軸をあわせて、コンテンツを。
エンターテイメントは変化した。かつて人がコンテンツと接する時間は、仕事や学校から帰ってテレビを見たり雑誌を見たり、マンガを読んだりゲームをする時間だった。休日にイベントか映画、コンサートに行く。
しかし、2006年以降は、誰しもべったりと、インターネットを通じて、携帯からコンテンツに接する時代になった。
だから、以前の「その時間だけ楽しめるコンテンツ」から、「一緒にこの時代を生きてくれるコンテ
プログラミング・ガール
https://www.facebook.com/youichiro.miyake/posts/10206600727355636
「プログラミング・ガール」という企画を考えてみた。コンピューター・サイエンス・フィクション。
無数の知識が私の中を突き抜けて行く。
私は長い間、知識は自分の内側に貯め込むものだと思って来た。
それによって私は賢くなるのだと思って来た。
学校でもそう習ったし、確かにそう思えることもあった。
でも、私という存在は、
知識がそこに入って、外に抜けて行く存在なのだと思った。
つまり、私という存在は知識の通り道なのだ。
入っては出て行く。
出て行くということは、行動する、ということだ。
情報が入り、記憶となる、そして賢く
マネージメントとは自由とは何かを考えることだ。
マネージメントとは管理を考える、と言えるかもしれないが、逆から捉えれば、
マネージメントとは自由とは何かを考えることである。
創造の流れは世界から自分を通って、世界と自分を結び、はじめて創造を可能とす。
私の外なる、そして私の内なる、
世界の、であり、同時に世界から自分を通って、再び世界へ流れる、
自分の、創造の流れ。
それは世界の流れであり、自分自身の内側を流れる流れでもある。
それが神髄だ。
それが創作において、世界と自分を結ぶ。
むしろこれによって初めて創造は可能となる。
ゲーム教育の3つの柱
とすれば、ゲーム教育においても、この3つは柱となろう。
ゲームを語る力、ありきたりの言葉でなく、新しい概念を創造すること、他の分野とゲームをつなげて行くこと。心理学、社会科学、自然科学、芸術言論。。。
ゲームを作る力。ゲームデザイン、アート、エンジニアリング、手法の開発と実験。そして何よりくり返し作ること。半分はエキササイズ。
ゲームを研究する力。ゲームを分析する力、分解する力。ゲームの成り
ゲームの強い言論を。
言論が人をつないでいる。
ある分野で言論が弱まる時、その分野も弱まる。
ゲームの言論が弱まった時期に、もう一度力強い言論を打ち立てられなかったことが、
技術のキャッチアップ云々よりも、基本的なところで効いている。
我々がゲームに対する自由な言論の勢いを取り戻さない限り、
開発者にも、ユーザーにも、新しい道を示すことができないのだ。