無数の知識が私の中を突き抜けて行く。
私は長い間、知識は自分の内側に貯め込むものだと思って来た。
それによって私は賢くなるのだと思って来た。
学校でもそう習ったし、確かにそう思えることもあった。
でも、私という存在は、
知識がそこに入って、外に抜けて行く存在なのだと思った。
つまり、私という存在は知識の通り道なのだ。
入っては出て行く。
出て行くということは、行動する、ということだ。
情報が入り、記憶となる、そして賢くなる。
でも、記憶となりつつ、情報は最初のベクトルを持って、
やはり外へ出て行くのだ。そこで行動が生まれる。
無数の知識が私の中を突き抜けて行く。
私の中には、そのシュプール(spur)が残って行く。
その軌跡こそが、私に刻まれた賢さなのだ。
私と言う賢さそのものなのだ。