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ベトナム戦争 ―「マクナマラの誤謬」は市民の犠牲を視野に入れてなかった

 ベトナム戦争で米国が勝利しなければ、世界は次から次へと共産化するというドミノ理論は、現在では米国がロシアに勝利しなければ世界が権威主義化してしまうという考えになり変わっているかのように見える。

 5月29日放送されたNHK「映像の世紀バタフライエフェクト マクナマラの誤謬(ごびゅう)」では、米国がベトナム戦争に深入りして敗北する背景を、当時のマクナマラ国防長官の構想がいかに現実の戦争に即していなかったかという観点から検討していた。


 ケネディ政権のマクナマラ国防長官は、北ベトナムは短期間で制圧できると判断してベトナムへの軍事介入を決定する。軍事顧問団として送っていた米軍を700人から1万1000人にまで増強するなど兵員を増強すれば、短期間で勝利できるという楽観的な見通しをもっていた。しかし、米国が守ろうしていた南ベトナムでは仏教僧たちが主導する反政府デモが高揚するなど政府は国民の支持を失いきっていた。

番組より https://twitter.com/nhk_butterfly/status/1663681696493961217


 南ベトナム政府が国民の支持を得られていないと判断したマクナマラは米軍の撤退をケネディ大統領に進言したが、ケネディもベトナムから軍を段階的に撤退させる決定を行った。しかし、1963年11月にケネディ大統領が暗殺されると、後継大統領となったジョンソンはベトナムからの撤退を白紙に戻す。ジョンソンは撤退すれば、ドミノのようにアジアは共産化していくに違いない、撤退は愚かなことだと言い切った。米国は介入強化の口実を探したが、トンキン湾で米軍艦が攻撃されたと主張し、1965年2月に北爆を本格化させる。しかし、トンキン湾での北ベトナム軍の攻撃は米国のまったくの捏造、言いがかりだった。

 マクナマラは戦況を判断する指標として米兵と敵兵の死者数の比較を用いるようになった。「ボディカウント」というものである。マクナマラは「キルレシオ(kill ratio)」を1:10でキープすることを目標とした。米兵の1に対して北ベトナム軍兵士10人を殺害すれば、敵はいずれ戦争が継続できなくなるだろうと考えた。部隊対抗のボディカウント・コンテストまで行われ、ある部隊では1:45にまで達していた。

 しかし、北ベトナム軍や南ベトナムの反体制勢力「民族解放戦線」の犠牲者が増えれば増えるほど、ベトナム人の復讐心や愛国心が燃え上がった。1968年1月に北ベトナム軍や民族解放戦線のテト(正月)攻勢があり、南ベトナムの米国大使館が占拠されると、米国内ではベトナム反戦のムードがいっきに高まっていった。

テト攻勢を報じる新聞 https://radiotalk.jp/talk/223937


 1971年にベトナム戦争に関する機密情報「ペンタゴン・ペーパーズ」がリークされ、1966年までの北爆の死傷者は3万6000人と推測されたが、80%は北ベトナム軍ではなく、市民であった。米軍がベトナムにいる理由の10%は南ベトナムを守るため、20%は中国をけん制するため、70%は米国のメンツを保つためということが明らかにされていた。「ペンタゴン・ペーパーズ」をリークしたのは1966年にマクナマラがベトナムの戦況について相談したことがある元国防総省上級研究員のダニエル・エルズバーグで、「戦争を終わらせるのならリークしたことで刑務所に行くことも本望だ」と語った。

PPM 1963年8月28日のワシントン大行進にて ウィキペディアより


 1995年、北ベトナム軍のボー・グエン・ザップ元総司令官は国交を樹立した米国のマクナマラ元国防長官に「我々は必要ならば100年間戦うつもりでした。我々にとって自由と独立ほど尊いものはないからです。」と話す。

 社会学者のダニエル・ヤンケロビッチは「20世紀になって私たちは数字で測れるものはすべて計測するようになりました。マクナマラの数字第一の戦略はアメリカの政策を正しく導けませんでした。計測できるものは計測して計測できないものは忘れようと考えるのは致命的な失敗への第一歩なのです。これは未来の私たちにも大きな危険をもたらしうるのです。」

 しかし、米国はその後も「マクナマラの誤謬」の教訓を活かせないままで、アフガニスタン、イラク戦争も、ベトナム戦争の際のマクナマラの楽観的見通しのように、戦争に着手して、敗北して撤退していった。「キルレシオ」は兵士たちの戦死者を想定したものだが、米軍はベトナムでも、アフガニスタン、イラクでも兵士だけでなく、多数の市民を殺害していった。そういう意味では番組はマクナマラの「キルレシオ」をやや大袈裟に扱っているように思えた。日本は2015年に米国と集団的自衛権を確立し、米国の戦争につき合うことを法制化し、ベトナム戦争の時のように、中国をけん制する米国と歩調を合わせて、防衛費倍増、反撃能力の保有に至っている。日本もまた軍事力の数値比較だけで安全保障を考えているようで、それが国民の幸せをもたらすとは思えない。

アイキャッチ画像はピューリッツアー賞受賞
沢田教一(UPI通信) ”安全への逃避(Flee to Safety)“ 1966年


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