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被団協のノーベル平和賞受賞は核兵器禁止条約調印を政府に求める

 今年のノーベル平和賞は、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が受賞することになった。長年被爆者の被爆体験を訴え、核兵器の廃絶を訴えてきた。我々が原爆の恐ろしさを我々が知ることになった被爆文学や被爆映画も彼らの体験談がなければ成立しなかった。

 歴史は書かれた史料だけに基づいて作られるわけではなく、口承の体験談も歴史作成の貴重な材料となる。その意味では被爆者たちの貢献は計り知れない。

https://ameblo.jp/namimaru2001/entry-12870882782.html


 近年、岸田前首相などは、原爆を投下した主体が米国であるという記憶を希薄にすることを意図してきた。しかし、恐ろしい核兵器を投下したのが米国であることを世界最大の核兵器保有国の米国民に意識してもらったほうが核兵器廃絶に役立つだろう。正確な記憶の継承をどうして歪めようとするのだろう、被爆者たちの思いにも背くものだ。

 2017年にノーベル平和賞を受賞したICANの受賞の際にスピーチを行ったサーロー節子さんは、日本政府が核兵器禁止条約の批准を拒否していることについて触れ、日本政府は無数の人間を大量虐殺する用意があるという脅しの戦略に頼り切っていると述べ、「皆さん、広島市民の怒りと行動を発信してください」とアピールしたが、被団協の人々も同じ思いだろう。

光に向かって這っていけ https://iwamisaihouji.com/2019/11/25/%E5%85%89%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%A6%E9%80%99%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%91/


 サーローさんは、被爆直後の瓦礫の中で聞いた「あきらめるな 動き続けろ 光が見えるだろう そこに向かってはっていけ」という言葉を紹介し、日本政府が核兵器禁止条約に批准すること、さらには核兵器廃絶まであきらめないでという考えを訴えた。

たとえ夜の宿が危険に満ち
目指す地がまだはるか先だとしても
忘れてはならない
終わりのない道などない、と
何も悲しむことはないのだ  ―ハーフェズ

 受賞の喜びを語った被団協の箕牧智之代表委員は、「特にイスラエル、ガザあたりはね、子どもたちが血まみれになって、そして食べものがない毎日を送って、学校を壊され、家を壊され、橋を壊され、戦争が終わりそうにない。国民は平和を願っているはずですよ。しかし、政治家が戦争に踏み切って勝つまでやるんだ言っている。国連の力で止めることはできないものかといつも思っています。」と語ったが、国連を骨抜きにしているのは米国やロシアなどの安保理の常任理事国だ。

https://www.youtube.com/watch?v=m-NRyAvEnxE


 また、被団協の受賞の背景には核戦争の脅威が高まっているということがあることは言うまでもない。23年11月5日、イスラエル・ネタニヤフ政権のアミハイ・エリヤフ・エルサレム問題・遺産相はガザに核兵器を落とすのも選択肢の一つだと述べた。彼はガザの人々を「ナチス」と形容し、ナチスに人道支援を行う必要などない、ガザにはハマスに関わっていない人物などいないと語った。240人の人質がガザ内部にいても核兵器を使用するのか尋ねられると、戦争には代償が伴うと発言した。

 イスラエルでは、モシェ・ヤアロン国防相(当時)が2015年5月5日、イスラエルがイランに対して核攻撃を行う可能性について言及したこともあった。これは東京新聞などで報じられたが、多くの日本人には知られていないだろう。彼は、イランとの長期の戦争を避けるために、米国トルーマン政権が広島・長崎に原爆投下を行ったようにイスラエルもまた「断固たる」措置を講ずるべきだと述べた。イスラエルが核兵器をもっていることは確実だが、イスラエル政府は公式には「もっている」とも「もっていない」とも語ってこなかったが、しかし、ヤアロン国防相の発言は、イスラエルが核兵器を保有していることを政府関係者として明らかに認めるものだった。国際法を破ることをまったく厭わないイスラエルのことだから核兵器使用の恐れがあると考えている。

日本被団協は、原爆被害の実相を伝えるため積極的に海外に代表を派遣し、1982年には代表委員の山口仙二さんが、国連の軍縮特別総会で被爆者として初めて演壇に立ちました。14歳の時に長崎で被爆した山口さんは、やけどを負ったみずからの写真を示しながら、「ノーモア ヒロシマ ノーモア ナガサキ ノーモア ウォー ノーモア ヒバクシャ」と訴え核兵器の廃絶を迫りました。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241011/k10014607751000.html


 核兵器の惨禍を繰り返さず、核廃絶を目指すためにも、被爆者たちの体験談を、日本人をはじめ世界の人々が耳を傾け、伝え続けるべきことは言うまでもない。2015年にNHKが行った調査では原爆投下の日を知っている日本人は3割弱だった。戦争や原爆の記憶の風化がいっそう進んでいる印象だが、現在の数字はさらに低くなっているかもしれない。記憶の風化は国民の戦争(現在ならば反撃能力や防衛費増額)、あるいは核兵器に対する反対の声を弱める一つの要因になっていることは確かだろう。

「自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ」(原民喜『鎮魂歌』より)。


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