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オトーサンの独白

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2016年3月の記事一覧

東京今昔物語

東京今昔物語

数年前のこと。

福岡出張からの帰り、モノレールを降り浜松町でタクシーに乗る。

ワタシ  「六本木の元IBMの隣のビルまでお願いします。」
運転手さん 「えっ、六本木にIBMがあるんですか?知りませんね。」
ワタシ  「六本木のIBMですよ!知らないんですか?ANAホテルの道をはさんで
六本木寄りのIBMですよ!」
運転手さん 「アー、サムスンのビルね!それならそ

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「卒業出来ない夢」

卒業出来ない夢を見る。未だにそんな夢を見る。

大学4年の2月だった。
友人ふたりと2週間のアメリカ横断旅行を終えて帰国した。

震災10年近く前の阪急西宮北口駅。

駅前にはまだ小汚い立ち喰い蕎麦屋と学生相手の安い居酒屋と小さなケーキ屋が立ち並ぶばかりだった。

大学の学生寮に向かおうとその駅前で乗り合いバスに乗り込むと寮の後輩がふたりいる。

アメリカの土産話をしてやろうと語りかけるが何故だか

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モータリゼーションと少子高齢化社会

 年末に、故郷でかつて高校時代自転車通学した道を運動不足解消かたがた歩いてみた。
 歩きながら感じたこと。
 
 ①今更ながら、モータリゼーションの影響を最も受けたのは地方だ、田舎だと痛感。地方のライフスタイルは急速にアメリカ化した。
 ②車の量が著しく増えた。歩きながら肌で感じた。
 ③歩いている人はほぼ皆無。道路は基本的に車のためにある。歩いていて何度も車に引っ掛けられそうになった。歩いてなん

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日韓相似性のパラドックスを乗り越えて

最近FBで見た投稿で女子大生がキャバクラでバイトしてると言うとふしだらに聞こえるがキャバクラ嬢が大学に通っていると言うと立派に聞こえると言う目から鱗のパラドックスがあった。

さて、過日の日韓慰安婦問題合意の一件。

賛否両論があるだろうしまた米国や安倍政権、朴政権の様々な政治的思惑が背景にあることも間違いないがそれでもぼくは評価されるべき大きな歴史的前進なのだと思う。

ただ勘違いし

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横浜関内と関西・関東のこと

横浜関内と関西・関東のこと

今日は仕事の用で横浜関内に行った。

駅で電車待ちをしながら気になったのでググってみると、関内はペリー来航後、安政6年(1859年)の日米修好通商条約で指定され関所で囲まれた開港場の区域を「関内」と呼んだのが由来らしい。

ところで関東•関西はどうなのだろうと調べてみればこちらは遥かに古い。

奈良時代672年に壬申の乱が起き、時の天武天皇は翌年に都の警護を強化すべく三つの関所を作った

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プロ雀士M子

あくまでも一般論だが、歳を重ねると共に概ね男はパワーダウンし、女は逆にパワーアップする。

さて、M子はぼくの高校時代の大親友Yの彼女だった。

最近迄はそう思っていたが再会したM子は、「あれはY君が勝手にそう思い込んでいただけやわ」、とぶっきらぼうに言い放った。

おまけにM子は「Y君はKさんが好きやったんやわ。」と言い、「同窓会に全然出て来やへんのんはきっと頭が禿げ上がったんに違い

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東京点描

前略
ふるさとのA君へ、

元気か?ぼくは上京してからもう29回目の冬を迎えようとしている。

今、通勤電車の中だ。東京の朝は面白い。

数駅の間に化粧を完成させてすっかり化け上がるるオネイサンがいる。

LINE Bubbleに熱中してスマホと取っ組み合いをしている60も半ばを過ぎたオバハンがいる。

本当に寝ているのか寝たふりなのか、隣のOLの肩にすっかりというか執拗にもた

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南山城 豊岡柿

南山城 豊岡柿

とりわけ柿が好きという訳ではない。
ところが今年は柿が美味いと思う。
しみじみ美味いと思う。
歳を重ねたせいかもしれない。

9月末、奈良興福寺に詣でた帰り阿修羅像の存在感に未だ酔いながら参道の道端で柿を買った。その熟し具合が何とも言えず絶妙で滅法美味かった。

秋も深まって訪れた京都南山城の当尾(とおの)でご当地名産の豊岡柿に出会った。

岩船寺側の露店で母より年上の老婆が点ててくれ

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幻の都  恭仁京

幻の都 恭仁京

三香の原久迩の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば 万葉集 田辺福麻呂歌集

幻の都、恭仁京(くにきょう)跡を訪れた。

故郷伊賀の國からひと山越えた京都府の南端南山城の木津川右岸に位置する山里だ。
今は何もない。ただ見渡す限りの休耕田にコスモス畑がいっぱいに広がっている。

大極殿と七重塔の礎石が残るらしいが恭仁宮の史跡を示す表示板がなければ誰もそれとは気付かない。

千三百

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関西のコーラと関東のコーラ

「関東のコーラと関西のコーラ」

40数年前の秋の夕暮れ時。

中学に入っても小学生気分がまったく抜けないぼくらは近隣の田園風景の中を自転車で日中さんざん遊び回ってひどく喉が渇いていた。

ヒロマサ君の家は地元の本屋さんだった。ルネ・シマールのサイン入り万年筆がおまけに付いた旺文社の中一時代もヒロマサ君のお父さんが配達してくれた。

その本屋さんの前にあった自販機で瓶のコカ・コーラ

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浜松で鰻の洗いを食す

浜松で鰻の洗いを食す

鰻は囁き声で切なくも懇願した。

「イツモトチガウワタシヲミテ」

蒲焼きでもない。白焼きでもない。
開いたばかりの鰻を瞬時に湯にくぐらせ氷水でしめ刺身に下ろしたのみである。どこまでもウブなのである。

鱧の湯引きの如く食する大きさに切られたものが湯の中でくるりとせしものに非ず、「鰻の洗い」と言う表現が近しいと思うのはワタシだけだろうか?

酢味噌や梅も良縁には違いない。
しかし今

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アキバの回転寿司でインバウンドに出会う

秋葉原。
まっすぐ帰ろうと思ったが小腹が空いて寿司の回っているお店に入る。

隣に座った太っちょのガイジンオバハンがお茶を入れようとして、黒いラバーを親指でギュッと押そうとする。

こういう場所ではあまり人と関わりたくはないが、思わず手で制する。

オトーサン    「あきませんやん!これは指やのうて湯呑みの腹で押して使うもんですがな~」
ガイジンオバハン 「あら~、エライすんまへんな

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答志島そぞろ歩き

答志島そぞろ歩き

梅雨晴間の土曜日。昼時も間近だ。
小中の同級生仲間で、鳥羽の港から連絡船に乗り沖合の答志島に渡る。

神主のイタルちゃんの発案に従うままに来たが伊賀上野という盆地山国出身のぼくらは島に渡るというだけでなんだかソワソワしている。

来年近くの賢島で先進国サミットが行われる。
しかし連絡船に乗り込むとそんなことは露知らずといった趣で、鳥羽の街で朝の病院巡りを終えた島の老人たちが互いに病状自慢を

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娚の一生を観て思い出した豊川さんの思い出

学生時代寮生活を送った。

体育会、文科系でも吹奏楽や応援団、詩吟部、ESS、グリークラブといった部活に所属する学生の多い硬派&バンカラ集団だった。

当然ながら楽しい寮生活にも集団生活はややも疲れることはある。

寮の前に甲山の麓に延びる狭い坂道があった。早朝馬術部の学生がトロットで馬を駆るひずめの音が耳に心地良かった。

その坂道を隔てた隣に戦後間もなく建てられた木造の左翼系学生寮

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