浜松で鰻の洗いを食す
鰻は囁き声で切なくも懇願した。
「イツモトチガウワタシヲミテ」
蒲焼きでもない。白焼きでもない。
開いたばかりの鰻を瞬時に湯にくぐらせ氷水でしめ刺身に下ろしたのみである。どこまでもウブなのである。
鱧の湯引きの如く食する大きさに切られたものが湯の中でくるりとせしものに非ず、「鰻の洗い」と言う表現が近しいと思うのはワタシだけだろうか?
酢味噌や梅も良縁には違いない。
しかし今宵は紅葉下ろしとポン酢が鰻とのバージンロードの道行きのパートナーである。
そして秋である。地酒のひやおろしが介添人である。早春に搾られた新酒が一夏を過ぎた今頃合い良くも熟成のまろみを帯びているはずだ。
ひやおろしを小さき猪口から一口含めば円熟した米の香りがパッと華やかに口に広がって鼻に抜け胃に染み渡る。鰻を迎え入れる準備は整う。
一切れの鰻を箸で優しく抱き抱えるように小皿に運び整える。
少量の刻み葱と紅葉下ろしを鰻の上に軽くそっと打ち添える。
それをまた優しくもクルクルと素早く箸で巻き上げる。巻き上げは端正でなければいけない。そしてキツすぎても緩すぎてもイケナイのである。
薄造りの鰻は紅葉下ろしにほんのりピンクに頬を染めて緊張に身を震わせている。
巻き上げた鰻を軽くポン酢に浸した後、ゆるりと口に運ぶ。
その食感と味に意表を突かれ面食らいながら、暫し目を閉じて堪能のひと時を味わう。
プリプリなのである。蒲焼きや白焼きのフワリとしたその食感には似つきもしない。
コリコリなのである。その歯ごたえの新鮮さに思わず笑みがこぼれる。
その一瞬を鰻は見逃してはいない。
さらに讃えるべきはその旨味である。旨味がポン酢のものかと一度なりとも疑ったことを鰻には謝らねばならない。
ポン酢に浸さず小さく口に含み、旨味が鰻自身のものであることを確認しては目を丸くする。
それを見た鰻は涼やかに微笑んでいる。
更にカリカリと噛めばポン酢と紅葉下ろしに混ざり合い旨味を増していく。噛むほどにその旨味はさらに豊かに広がり脳内にドーパミンが分泌されていくのを感じる。
脂の乗りが、解き放たれた蒲焼きや白焼きとは異なり、鰻のその身の奥深く閉じ込められたままなのであり、それが噛むほどに少しずつ浸潤を始め味を豊かにするのである。
鰻はいよいよ悦びの涙にむせんでいる。
さらにひやおろしを呑めば味はいよいよ極まり、秋の夜はしんしんと更けて行くのだった。
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