“普通って何だろう?”私を紐解く。
先日、子の幼稚園時代の先生とお会いする事があり、
久しぶりの再会、色々とお話することが出来ました。
子はおもしろくん
先生には大分お世話になりました。
習い事へ行けば、教室長には
「この仕事20年以上やっていますが、
あの子は10本の指に入る位、印象的なお子さんでした」
保護者としては妬ましい程の言葉を貰う。
これからも、こういう先生達に囲まれていけるなら、
彼はきっと幸せだろう。
普通って何だろう?
思い出せば、私が変わっていたらしい。
母は学校で行われてきた面談で
「あのー、ご家庭ではどういう風にお育てですか?」
(母は【良い意味で】だと思いこんでいる)
と聞かれ続けたそうです。
結局、我が子の件は遺伝なのかもと結びつける。
何十年も前ですが、
準備せず小学校受験するも、ご縁などあるわけもなく。
(当時は代々○○小ですので。が当たり前の時代)
何で準備してくれなかったんだよ、
と母に愚痴りたいがもう過ぎたこと。
考えすぎて居場所に苦しみ
入学した小学校ではお友達ができなかった。
次にやってくるのが中学入試。
(そうなるよねぇ・・・)
リベンジ満々の母でした。
入学した中学は幼稚園から大学院まである学校。
行くと皆が良家の子女。
常に何かが違うなという違和感が
小学校低学年頃から常にあった私は。
居場所はあるのだろうか?
嫌われないようにはどうするのか?
(結局嫌われもしたけれど、今となってはどうでもよい)
自分の立ち位置を考えるのに必死でした。
学校、会社を離れ、
一人で働くようになり、
自分の思うままを発言できる今、
変わり者だのなんだのと言われても、もう怖くない。
好きに生きている。
常に群れない。
これが私にとっては心地よく生きられるみたいです。
普通であれ
と努力してきた20年。
それに意味があったか、なかったか?
過ぎてしまったことはもういいだろう。
違和感も幼い頃から持っていたものの、
外では普通にならなければと思い
逆に家では自分の感情のままに過ごしてきた。
今でも興味をもつ“五感”
これを長い年月かけ
家で追及させてもらった。
母が楽しんでいた絨毯。
これは私にもささり、響き、
織り込まれる歴史や文化、
人々の暮らしから色んな事を学びました。
小学校低学年でペルシャ絨毯好き。
これをTwitterでつぶやいたところ
反響もいただけた。
普通じゃないことは悪くない。
普通だからこんな感じか??
普通だとこんな風に考えるだろうか?
○○ならば普通でしょう・・・
今でも一般的な回答をしたいと思う時がある。
ネガティブな発言から身を守るために。。。
そうやって考えながら行動し
アラフィフになってしまった。
普通とは何か?の答えは
結局まだ出ていない。
でも、スパイスやハーブに導かれ、
今年新たな目標を見つけられたことは私の幸せ。
普通ではなかったけど、見つけられたものもある。
普通じゃないから得られた道は
ここにある。
“普通って何だろう?”
答えがわからず、
普通に生きられないと気にしていても
大丈夫!何とかなるから。
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