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私とコンプレックス
ふと思ったことがあって久しぶりに文章を書こうと思います。
なかなかセンシティブな話かなとは思います、こちらも人それぞれの話ですしあくまで「私」というどこにでもいるような大学四年生の考えを聞いてほしいのです。専門的なことはあまりわからないので新たな知見を得るというよりかは「こんなやついるんだな…。」と思っていただければ幸いです。
コンプレックスの話をしようと思います。
どんなに綺麗な人でもどんなに完璧にみられることが多い人でも抱えているでしょう、コンプレックス。
乗り越え方、向き合い方、人それぞれ。そんなもの気にしていたら何もできなくなるじゃない、自分の人生だから楽しんで生きなきゃね♫個性があってなんぼなの♫あなたにはあなただけのいいところが沢山あるのだから…
わかります。正論です。でもそんな考えを受けいられるほどの柔軟さと素直さを残念ながら「私」は持ち合わせていません。
性格的なことは変化が見込めるものもございましょうから身体的なことをここでは触れていこうと思います。
今、ボディーポジティブをはじめとして自分の体を愛していこう、という考えが広がってきています。多様性が大事にされるようになった時代。
そういう意味ではいい時代になってきたのかなと思う反面、新たなる敵が恐ろしい時代を構成しているなとも思うのです。
新たなる敵、SNSです。特にインスタグラム。テレビに出てるアイドル、女優さんだったら「元々の顔の造形、スタイルのみならず芸能界で生きていくために努力されているのだわ」と割り切れるものですがインスタグラムに載っている素人さんはそうはいかなくなってきています。
加工技術とかそういうものを考えられるほどの余裕もなく思うのです。
「なんで私はこうなんだ」
SNS見なきゃいいじゃん、やめればいいじゃんでやめられるほど私は強くありません。自分の首を絞めることはあるけれども”不必要な情報”を含めての莫大な情報を断つことは今更ながらできない。できればSNSのない世界にいけたらいいんですけどね…。こちらの方が夢の世界。
コンプレックスをひけらかすものではございませんが。私には自分を好きになれない要素が沢山あります。
エラが張った顔の輪郭、丸い鼻、左右差のある目の幅、広い肩幅、太い脚、太ってる割に薄い上半身、骨盤の開き、曲がった脚…
自分で書いててちょっと泣きそうになりました笑あげたらきりがありません。鏡をみて不細工だなって思う日も多々あるし、好きな女優さんがきてて欲しかったスカートを試着室ではいたときにお尻がでかすぎて断念したり。みんなが当たり前のようにはいてるスキニーでさえはいたら笑われる。
勿論、自分でSNSを通して気づいてコンプレックスとなり自信を無くした体の一部もありますがだいたいは親戚を含め、第三者から言われたものが多いことにも気が付きます。(血のつながりがあるから、何でもいってもいい権利などございません)
悪気なくいわれた一言。逆も然りで、私も言ってしまったこともあるでしょう。
あって間もない人に直接脚が太いと言われた時から大好きなミニスカートがはけなくなった。
もともと今よりも左右差がすごかった目の大きさ、嫌で嫌で仕方がなくてゴリゴリむくみをとって癖付けをした日。
いじられても本当に傷ついたなんてそぶりを見せたら関係性が悪くなるから「だよね~」って笑ってごまかした日々。
いじられて、すべてが嫌だったわけではないけれども、すべてが今のコンプレックスという感情に繋がっている。
性格的なことは人に言われないと気が付かないこともあるけれども身体的なことは自分が一番わかっているんだよね。嫌というほど付き合ってきた本来愛しいはずの自分の一部なのですから。
もちろん自分の体の特徴が笑いを生むことも知っています。だから自分の口からいうこともありますし、私の場合人に裏で思われるのが怖いため自分からいうことの方が多い。自虐したほうが楽なんです。
「今日も元気に足が太いのにひざ丈スカートはいてます☆」
相手はなにも思っていないかもしれませんが人に言われるより自分が気にしてないような感じで開き直った方が何倍も自分を守れるのです。
それが僻みにもつながってて心底めんどくさい人間になることも多いです。厄介、厄介。
自分を卑下することになれてしまって自分で自分を可哀想な人にしたてあげるのはもうやめませんか、と「私」に言いたい。
ダイエットをすればいいじゃん、努力もしないで痩せたい痩せたいって言っててそれでもって足が太いのは当たり前なんだよ、そんな言葉youtuberでももういらないような気がしています。気にしているのならば行動になにかしら表れますからね。
健康を害するぐらいの肥満などは心配も含めて別で考えていただきたいけど。人が気にしているようなことをあえて言うのは人権侵害です。毎日ダイエットが頭を支配して美味しいものを我慢し続けてそれでも見た目にあらわれにくい人もいるであろうし、変わりたいと努力し始めている人を笑いものにするのはどうかと思うのです。みんな頑張っている、自分が生きやすいように。
自分の体は自分のものです。思うことがあっても口に出してはなりません。これは私も改めなければいけないこと。
嫌だったら反論して。関係性を思う気持ちもわかります。でもそんなんフェアではありません。自分の感情がマイナスになった瞬間にまず自分に聞いてください。
「今、私身体的なこと言われて傷ついたよね?」
少し感情的になった後、あえて客観視して
「これ誰だって普通に言われたら嫌なことだよね?私だけじゃないよね?」
そして心は冷静に、言い方はマイルドに
「それ私気にしてるからやめてよ~~~!」
ここで私はこれがこうで嫌だからもう言うなよ、もちろん違う人にもとは言えません。言える方が羨ましいです。言えたらいいなと思います。でもこれが「私」の精一杯。頑張ったね「私」!過去とは違うのだ!満足。
言えない時もありますよ、まだあります。でも嫌という感情を伝えられただけでも言えないのとではその後家に帰ってから沸き上がる感情が違います。
あくまで「私」の考え。捉え方は違いますから「私」のパターンをみんな当てはめる必要はありません。でも気にしない人はいないと思います。みんな悩んで自分なりの正解を見出しています。今ある状態を完璧だと思わずに隠したり、形を変えたり、色んな解決法で自分を守り、生きやすい方法へと自分を導いているのです。
僻んでしまうのも仕方がありません。自分にないものを持っていたら僻まずとも羨ましくなってしまいます。人間ですから!「私」も毎日僻みそうになる。口に出さないだけで。ましてや自分なりに向き合って努力しているのにもかかわらず変われなくてムシャクシャしているときなんてシンドイシンドイ!当たり前の感情ですよ、僻んでしまう自分を恨まないで!
これは「私」に対しての俯瞰してのメッセージでもあります。いる世界によって例外は沢山あります。柔軟によろしく、お付き合いくださった方ありがとうございました。笑
いつか自分の身体をちゃんと愛せる日が来るまで、少しばかりのメランコリー…。