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忘れない日々〜お酒と寂しさ

忘れたくないものを書き留めることにしたのだが、それはなぜか? 実は私には不安がある。それは私の母の認知症にあった。

母娘なら遺伝もありうるのだが、実際に症状が出ているのかと言われるとまだ顕著に現れては居ないはず。(まずは本人が気がつくと思う)だが、本人が不安になる要素はなんとなく忍び寄っていると思う。そして母も、そんな不安を抱えながら過ごして居たのかと思うと胸が苦しくなるのだ。

単なる物忘れならそれで良い。それで終わるのなら、それに越したことはない。だけど、一人の胸に収め何もなかったかのように振る舞い続けることで、進行を早めてしまうのならば公表して少しでも進行を遅らせたい。

そう思ったのだ。と、ここまで言って、まだ私は認知症(または若年性アルツハイマーなど)と診断されたわけではない。ただ、数年前に受けた検査で「このままいくと将来は認知症の症状が出てもおかしくない」と言われて居た。

その当時、打開策として言われていたのが「禁酒」と「寂しくならない」と言うことだった。アルコールは飲みすぎると脳の萎縮を早めるらしいそれは若年層でも増加しているらしく、脳梗塞などの脳血管障害、ビタミンBの欠乏による栄養障害なども起こると言われている。

認知症の症状はアルコール依存症にも当てはまることもあるらしく「寂しくならない」と言うことがそれを物語っているように思えた。寂しくなるとお酒を飲んで寂しさを紛らわすようになる人は多い。かつての私もそうだったかもしれない。一人で二人の子供の子育てをしていた頃、毎日のようにアルコールを摂取していた。量的にはそんなに多くないが365日飲まない日はない、と言うのが一つの自慢のように語られていた頃だ。

今は歳を重ね、飲みすぎると体に出ることもあり、あまり飲めなくなった。が、飲んでいる。夫は未だにビールを水のように飲み、飲み始めると止まらない。だから週末にしか飲まないと決めているが、それでもトータルすると、週末にガブ飲みすれば平日に飲まなくても量は同じだと私といつも口論になるのだ。

夫も寂しいのか?

そういえば、最近夫の運転する車に乗るのが怖くなった。以前乗っていた車は車検が来る前に買い換えた。その新しい車が来る前に下取りに出した車をぶつけてしまうと言う事件に遭遇したのだ。私が隣に乗っていながら、何も注意できずにいた。夫は自分の運転技術を過信していたと思う。慌てていたこともあったのだが、あり得ない状況で車をぶつけ途方にくれていた。おそらく夫自身の方がショックだったと思うが、私も同時に不安にかられていた。

二人で出かけるときは必ず夫が運転する。今まではそれで良かったのだが、車をぶつけた一件で私はなるべく自分で運転したいと申し出るようになっていた。だが、プライドの高い夫はそれを許さない。そして助手席に乗っていると、運転が怖く感じるようになり次第に隣には乗らなくなっていた。

夫が出かけるときは私は一人で過ごすことが多くなったのも、この頃からだ。物事には必ず原因があり結果がある。そうやって二人で出かけるのは、散歩のみになってしまった。

もし夫に症状が出たらと思うと、それも不安になり私自身はなんとか食い止めなくてはいけないと強く思うようになり、私はお酒をやめることにした。せめて私だけでも正常で夫の世話をしなければ。

それが再婚するときに誓ったことだから。

まずはお酒をやめ、健康的な生活をすること。そこから始めようと思う。夫もお酒以外は食べるものに気をつけて、病気にならないように十分注意しているが、脳が萎縮してしまったら内臓系が強ければなおたちが悪い。

なんとか夫に気がついてもらえるようにすることと、私自身が発症しないこと。もし発症しても進行を遅らせること。起きてしまったことはしょうがない。大事なのは未来だとせっかく夫婦になったのだから思いたい。

未来があると信じたい。人間の尊厳を死ぬまで守っていきたい。そのためには「脳」を研究するしかない。まずは禁酒・断酒しよう。それを夫にどう伝えるか……。

見守っていてほしい。

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