ペリリュー ―楽園のゲルニカ―
大正6年、西暦1917年の今日8月25日生まれの私の祖父は、終戦時には28歳目前だったということになるか。
徴兵によって20代のほとんどの時間を、満州、台湾、フィリピン各地で兵隊として過ごしたという。祖父は戦地のことの多くは語らなかったが、食べるものがなくて苦しんだことであるとか、銃弾が耳をかすめて鼓膜をやられ左耳がほとんど聞こえなくなったこと、終戦の折にはマラリアで生死の境をさまよったことなど、わずかだけれど伝え残してくれている。
『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』 武田一義
(全11巻完結)
昭和19年、夏。太平洋戦争末期のペリリュー島に漫画家志望の兵士・田丸はいた。そこはサンゴ礁の海に囲まれ、美しい森に覆われた楽園。そして、日米合わせて5万人の兵士が殺し合う狂気の戦場。当時、東洋一と謳われた飛行場奪取を目的に襲い掛かる米軍の精鋭4万。迎え撃つは「徹底持久」を命じられた日本軍守備隊1万。祖国から遠く離れた小さな島で、彼らは何のために戦い、何を思い生きたのか——!?「戦争」が日常にあった時代、若者が見た真実の記録。
戦争を描いた漫画とは思えないほど、柔らかくかわいらしく描かれた登場人物たち。けれど、ここで起きている事はおぞましく、痛ましい。
祖父がいたのはここまで凄惨な最前線ではなかったのかもしれないけれど、でも同じ時代に近い年代のごく普通の青年たちが戦場で何を思いどう死んでいったのか。漫画は淡々と描かれているだけに余計に戦争というものの狂気が浮かび上がるような気がする。
自分が人を殺したということ それを自分の子供に伝えるのはとても恐ろしいことだよ
最終巻の田丸の言葉が重くのしかかります。
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