”Lluvia”だけを知っていたら
25歳で念願かなって南米を訪れた時、私が知っていたスペイン語は、”Lluvia” —— その一語だけだった。
ペルー、ボリビア、パラグアイ、ブラジルと南米の数カ国を陸路移動するつもりなのに、英語が少々できれば(全然できない)なんとかなるでしょと、浅はかさ無謀さに我ながら呆れる。
けれど、成田を経っておよそ26時間後、リマのホルヘ・チャベス国際空港に降り立った瞬間、スペイン語がわからなければ、文字通り、まるでお話にならないことを痛感してしまう。結局、半泣きで、数字やいくつかの主要な会話を、頭に叩き込む羽目になった。
◇
”Lluvia”は”ジュビア”(もしくは”リュビア”)という発音で”雨”という意味。そうと知っていたのは、高校生の頃、今井美樹にあこがれていたからだ。
今井美樹のルックス、スタイル、ファッション、歌声。どれをとっても、自分には無いものばかり。せめてもとそれらしく、白いシャツにデニム、コンバースのハイカットなんかを履いてみたところで、せいぜい口が大きいぐらいしか共通点がないのだから、逆立ちしてもあんなふうにナチュラルでまぶしく、でもどこか儚い女性像には手が届かない。鏡にうつるのは、チビでおかっぱで色黒の子供が、無理に背伸びした姿でしかなかった。
うっかり入部してしまった高校の運動部で、夏休みに毎日キツイ練習をしていた頃、『Lluvia』より前の『Bewith』『MOCHA』『Ivory』といった今井美樹のアルバムを何度も聴いていた。
部活終わりに、ぐったりしたままコンビニで買ったガリガリ君を食べたあと、自転車に乗って家路につく。その20分ちょっとの帰宅路に、繰り返しウォークマンで聴いていたから、私にとってこれらのアルバムは、夏の終わりの気だるさと切ないような匂いが染み付いている。
夕方、沈みかける陽を背に坂道を自転車を押して行く。そんな時の『黄色いTV』『9月半島』の流れが、大好きだった。ちょうど坂をのぼったところにある中学校、懐かしいその母校の木陰で休憩する日もあった。『野性の風』を聴いて、滲んできた汗が引くまで待つのだ。
あんなに非の打ち所がなく見えるのに、今井美樹の歌はいつも切なかった。美しい姿、美しい声。なのに、自信が、あとほんの少しだけ足りないような歌。迷いや、戸惑いが隠れているよう。そんなところが高校生の私には、響いていたのだと思う。
◇
アルバム『Lluvia』を作る前、3ヶ月お休みを貰ってペルーを旅したこと。ペルーでマチュピチュの他にもあちらこちら行ったが、何かとてつもない経験や出会いがあったわけではないこと。でも、日本に戻ってやっぱり何かが変わったように感じたこと。”Lluvia”はスペイン語で”雨”という意味であること……。
『Lluvia』のライナーノーツには、そんなふうに書かれていたと記憶している。
私が今井美樹のアルバムを購入したのは『Lluvia』が最後だった。そして、あれほど繰り返し聴いていた歌も聴かなくなっていった。『Lluvia』以後の楽曲やアルバムで、あの、切ない気持ちを感じることがなくなったからだと思う。今井美樹の歌が変わったからなのかもしれない。私が高校生じゃなくなったからかもしれない。
きっと両方なのだろう。
でも、いつか絶対に南米に行こう。ペルーを訪れ、マチュピチュをこの目で見よう。そして、もう一つ、”Lluvia”という言葉は”雨”という意味。それが、ずっと私の中に残り続けていた。
◇
マチュピチュでは、しとしとと降る雨に濡れ続けた。
たったひとつだけ持っていった”Lluvia”というスペイン語を南米ではじめて耳にしたのは、ボリビアのサンタ・クルスでだった。
サンタ・クルスとパラグアイの首都アスンシオンを結ぶ国際長距離バスの受付だと張り紙を掲げる小さな事務所で、2日後に出発予定のバスの座席を予約し、お金も払ってしまった。だが、予定の日に行くと、今日はバスが来ない、明日は来るから待てという。次の日もう一度行くと、まだ来ないからあと2日待てという。
じゃあ、もう乗らない、別の会社のバスを探すからお金を返してくれ、と訴えたら、2日待てば来るのだから、お金は返せない、ときた。私はニセの営業事務所でまんまと騙されたのだ。
頭にきて、近くのバスターミナルへ走り、パトロールしていた警官か警備員なのか実のところよくわからなかったが、とにかく制服姿の警官をこの事務所まで引っ張ってきて、身振り手振りでどうにかしてくれと懇願したのだが、どうにもならない。
「¿Por qué?」
「Porque... lluvia!」
「Lluvia?!」
もう、騙されたのは重々承知し、ほぼ諦めていた。だが、バスが予定通り来ない理由を、覚えたばかりのわずかなスペイン語で「なぜだ?」と詰め寄る私に、ニセの事務員が最終的に伝えた理由が”Lluvia”だった。
雨だからバスがここまで来られないのだ、と。
たったひとつ、長いあいだ持ち続けていたスペイン語が、意外な場面ではじめて飛び出し、私は、うっかり笑ってしまった。すると、調子に乗った他のニセ事務員や、客を装う人たちも、雨が降るというゼスチャーを付けて「lluvia、lluvia!」「雨だから」と口をそろえる。
雨はたしかに降っている。でも、ちょっぴりだ、雨のせいだなんて、嘘ばっかり。
それでも、いうなれば、私は”Lluvia”という言葉に導かれて南米に来てしまった、だからめちゃくちゃを言いやがってと腹を立て、でも同時に、もっともっと腹の奥底で、なんだか面白いとしか言いようがなくなってしまった。
そう、雨なら仕方ない。
すったもんだの挙げ句、お金は返せないが別の会社のバスに無料で乗れるようにしてあげるのでそれで行きなさい、と連れてきた警官に言われたので、そんな権限があるんだろうかと訝しく思いながらも、事務所を出て一緒にバスターミナルに向かった。事務所の出口で振り返ったら、ニセ事務員同士が笑いながら握手をしていやがった。ちっきしょう。でも、いい、もう先に行くと決めたんだ。
バスターミナルで、今にも出発しようというバスの運転手達となにやら交渉してくれていた警官は、このバスならOKだからこれに乗れ、と言った。私は何度も何度も「このバスはアスンシオン行き?」と確認したのだが、周りの皆も揃って「OKそうだ大丈夫」と頷く。
もう、日も暮れた。滞在していた宿は引き払ってしまっている。バスの行き先表示も、渡されたチケットにも、どこにも”Asunción”の文字は書かれていないような気がするんだけれど、私はスペイン語は”Lluvia”しか知らなかったのだから仕方がない。ええい儘よ、乗って一晩寝て朝になれば、望み通りアスンシオンに到着していることに賭け、座席についてしまった。
◇
翌朝、バスがたどり着いたのは、ボリビアとアルゼンチンの国境のヤクイバという小さな街だった。どう見回しても、ここはアスンシオンじゃないし、パラグアイですらない。
出入国管理所に続く長い列に並びながら考える。一体何故私は、こんなところにいるんだろう。
まったく、面白いにも、程があるでしょう?
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