マイマイガ多発生の収束
みなさん、こんにちは。林務担当です。
今回は、令和3年に宣言した「マイマイガの多発生収束」のお話です。三宅支庁では、令和元年から3年まで各種調査を継続し、この結果に基づいて宣言を決めました。
どんな調査をしたのか、どうして収束宣言できたのかなど、お伝えできればと思っています。
本題に入る前に、「マイマイガ」について、その生態や森林被害、取組内容や注意喚起など、下記の記事で概説していますので、併せて御覧ください。
1 各種調査の推移
三宅島内における被害は各所に及び、主に「オオバヤシャブシ(島では「ハンノキ」と呼ばれています)」、「アカメガシワ」、「オオシマザクラ」で、葉が食べられる被害が見られました。
三宅支庁では、住民の方々や噴火後の植生回復と密接な関係を持つ「オオバヤシャブシ」を対象として、「幼虫発生消長調査」、「成虫発生消長調査」及び「森林被害度調査」を実施しました。これらの調査により、マイマイガの発生状況や森林被害の実態を把握しました。
オオバヤシャブシ
オオバヤシャブシの実
⑴ 幼虫発生消長調査
幼虫については、島内8地点で発生状況を調査しました。令和2年と3年を比較した場合ですが、調査地点を総体的に見ると、幼虫は4月上旬から増加し始め、年によって2週間程度前後しましたがピークは5月で、7月には未確認となりました。
地点別では、気温や夜間の明かりの有無に影響されたのか、調査開始の令和2年は赤場暁で多発生が際立ちました。令和3年の発生量は、全体的に少量かつ地点毎の差は生じませんでした。
下表は、1人が1分間で発見した幼虫の数をグラフ化したものです。発見数の最大値を年次比較すると、令和2年は「6匹/人/分」、令和3年は「0.06匹/人/分」と約1%に激減しました。
⑵ 成虫発生消長調査
この調査は、幼虫が増加し始めた令和元年に開始しました。調査としては、島内5地点にトラップを設置し、捕獲された成虫の数を記録しました。
調査開始と同時に捕獲数最大値の58匹が確認されましたが、令和2年は3匹と約5%に激減し、翌3年は2匹と横ばいで推移しました。調査を開始した令和元年は、既にピークを過ぎていたかも知れませんが、どの年も捕獲数のピークは7月で、8月には捕獲無しとなりました。
令和2年に幼虫が爆発的に発生しましたが、成虫の捕獲数は増加しませんでした。恐らく、成虫が多発生した翌年に幼虫が多発生するようです。一方、収束には、飢え、病気、増殖能力の低下などが影響するようですが、中でもマイマイガの幼虫に特異的に寄生するウイルスによる流行り病が収束の決定的な要因といわれています。
マイマイガ被害の中で、人体に一番影響を与えるのが「一齢幼虫(別名、ブランコ毛虫)」です。今回の発生消長調査により、成虫の発生状況に注視すれば、健康被害の軽減や多発生に向けた注意喚起が可能と導き出せました。
⑶ 森林被害度調査
この調査は、幼虫発生消長調査と同一地点において実施し、幼虫による食葉被害の程度で森林被害度を判定しました。
令和2年は、幼虫が爆発的に発生した赤場暁で甚大な森林被害を確認し、その他の調査地点では目立った被害はありませんでした。
令和3年は、幼虫発生数に比例し、全調査地点で新たな森林被害は確認できませんでした。しかし、赤場暁で被害を受けていた「オオバヤシャブシ」の芽吹きが見られず、樹勢が回復していないようでした。
深刻な森林被害
被害状況
2 収束宣言
令和元年から3年まで調査を継続し、幼虫の発生量及び成虫の捕獲数の推移から、今回の「マイマイガの多発生は収束」と判断しました。多発生の周期は、一般的に概ね10年と言われますが、林務担当が把握している情報を基にすると、三宅島では前回発生から約15年と少し長いようです。しかし、収束までの期間は概ね2~3年と、完全に一致しました。
「オオバヤシャブシ」は、三宅島にとって非常に重要な樹木です。噴火後の植生回復状況を見ると、樹木の中で真っ先に根付くのが「オオバヤシャブシ」です。七島展望台などから周囲を見渡すと、ここ数年の比較でも「オオバヤシャブシ」によって樹林化が着々と進んでいるのが分かります。
三宅支庁では、今後も発生予兆調査とデータ蓄積を継続し、次回の多発生対策に備えます。
最後に、幼虫の顔をアップで見てみましょう。みなさん、困り顔に見えませんか?どの幼虫も同じ顔で、筆者は調査の度に「君たちが増えると、こっちが困っちゃうよ。」と思っていました。
横顔
正面
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