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柔道整復師は不要か?現代社会における柔道整復師の役割を考える〜BACK AGING STORY③

BACK AGING STORYも3話目。

長くなりすぎないように端的にまとめているつもりですが、結局話が広がっていく始末。。。「今回はここまでっ!」という感じで程よいところで話を切ってます。まぁ、焦らず&のんびりせずコツコツ更新していくとしますか。

本当は治療院のことをしっかり書いていくつもりだったのですが、そこにたどり着くまでにはもう少し時間がかかりそうな模様です。いやはや、我ながらこのnoteは難産ですよ。ただ、書いている中で文字が浮かばないってことはあんまりなくて、

「あんなことがあったなぁ」
「あの時、こんなこと考えてたなぁ」

といったレベルの内容をまとめてます。乱文ながら、一生懸命やっていたことだと胸を張って言えことなので、もう少しだけお付き合いいただけると嬉しいです。

これまでのお話はこちら↓

コロナ禍でスタートさせた腰痛専門治療院のこれまでとこれから〜BACK AGING STORY①

学校の先生になりたかった自分が、学校の先生をやめた話〜BACK AGING STORY②


1. 働く場所が柔道整復師の生き方を決める

学校をやめたのが2013年の春。僕が、勤務先(修行先)に選んだのは多摩市に本院を置く整骨院でした。

決め手になったのは1日に100人以上の患者さんがきていて、とにかくたくさんの症例が見れるということ。社会人のスタートが教員だったし、柔道整復師になった時点で僕は30歳目前だったので、決して”若いとは言えない新人”でした。

人を診るという経験が圧倒的に足りていない分、量でカバーしようというシンプルな発想で選んだ職場初期は圧倒的な「量」が大事ですよね。乱暴な考え方と言われるかもしれませんが、あながちトンチンカンな発想ではないとも考えています。時代錯誤かなぁ(笑)

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職人気質の強い職業であればあるほど、徹底的に集中して仕事に没頭する時間は必要だと思っています。働きはじめの頃は実際の治療業務と事務的な業務の膨大さに、文字通り揉みくちゃにされ、疲れ果てるように毎日家に帰っていました。

そんな中でも先輩達は明るく勉強熱心だったので、色んなことを教わる毎日でした。自分のプライドが邪魔してめちゃくちゃ怒られたこともありましたし、体育会の中で育って、基本的に健康な人たちの中で生きてきたので、世の中には体が悪い人がこんなにいるんだなと肌で知ったのもこの時です。これも学校を辞めて治療現場に浸かったからこそわかる現実。今まで自分がいかに世の中の一部しか知らなかったのかってことを痛感させられました。

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世の中には山ほど整骨院が乱立する世の中。働く場所がその人の生き方を左右すると言っても過言ではありません。誰に何を教わって、どういう環境で臨床に触れるか。それは大きなことなんですよね。

今でも先輩たちに教わったことや、患者さんへの向き合い方はここで感じたことがとても大きな基礎になってます。患者さんからもたくさんの事を教えてもらいました。いや、むしろそっちの方が多かったかな。。。

うまくできるようになったと思ったら、まだまだ未熟だと自覚することが必ず起こる。不思議ですが、その繰り返しでした。「自惚れたらダメだよ」と伝えてくれるのも、「先生に出会えとよかった」と言葉にしてくれるのも患者さん。

そのやりとりは永遠に続くと思います。それでいいんでしょうね。


2. ”柔整バッシング”に見るコメディカル医療の構造的課題

近年、”柔整バッシング”と呼ばれる批判が少なくありません。僕はこれに関しては、甘んじて受けなければいけないと思ってます。

国家資格の取得にかかる時間、難易度、社会的な認知、信頼度どれをとっても柔道整復師は医師には及びません。医師と柔道整復師が同じようなニュアンスで「医療」を標榜すること自体嫌がるのも無理ないですよね。

主な”柔整バッシング”は以下の通り。

◉柔道整復師の業務の対象(骨折や脱臼など)が整形外科と重複しているので、無駄な「二階建て構造」になっている

◉柔道整復師は法的に業務範囲が規定されているにも関わらず、正確な診断技術を持っていない

◉柔道整復師の業務範囲の拡大解釈によって、慢性疾患や変形疾患にまで手を出していて、本来の業務の逸脱行為と言わざるをえない

◉かつて、医師不足の時代においては、民間療法や代替療法の一つとして重要な役割を果たしていたが、医師不足が解消した現代においては、その存在価値は低下し、存在自体を再考すべきである

◉根拠に乏しい、あるいは根拠のない「独自の理論」を口八丁手八丁で振りかざす柔道整復師は善良な医療を脅かす存在である

(参考文献:「骨を接ぐ者〜柔道整復師骨接論」, 稲川郁子, 2020年4月 ナカニシヤ出版)

柔道整復師と接(整)骨院が増え続ける現状を受けて、「勉強不足」「技術不足」たる柔道整復師を諫める厳しい批判です。

ただ、どんなに優秀で志が高い柔道整復師であっても、現状として柔道整復師を信頼してくれる整形外科で修行を積み、臨床現場で柔道整復師の本業とも言える骨折や脱臼の処置を繰り返し行える場がとにかく少ないという現状があります。

柔道整復師は独立開業を前提として職種だからこそであって、病院のような医療機関と連携して研修を行うということを重視してきませんでした。

結果的に、知識として学んだものを実践に昇華させる場所がなくなるという現状に陥っています。

本来の主たる業務である骨折や脱臼といった外傷の処置を生業にしたいと考える柔道整復師はたくさんいる
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しかし、それを学び実践していける修行(研修)の場が極めて少ない
  ↓
結果的に骨が接げない、接ぐことを生業としない柔道整復師が増える
  ↓
徒手整復という高度な保存療法の技術が伝承されにくい

僕が考える構造的な課題はここです。

あくまで私見なので、ご容赦ください。熱心に「ほねつぎ」の魂を語ってくれた恩師のおかげで、今の自分のアイデンティティに関わるこだわりはしっかり醸造されてしまったようです。

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3.現代社会における柔道整復師の役割

では、柔道整復師は不要な職業なのか?僕は(自分が柔道整復師だからということもありますが)決してそんなことはないと思ってます。

志の高い治療家や勉強熱心な治療家は世の中にたくさんいます。柔道整復師として本来の業務を学び、実践する修行の場はどんどん減ってきているのは事実ですが、医療的な知識をちゃんとした形で学び、時間もお金もかけて学んできたことは決して否定されるものではありません。僕が学んでいた夜間部では仕事をしながら勉強を続ける仲間がたくさんいましたが、みんな本当に熱心でした。

医師に比べれば、資格をとるための難易度も時間も天と地ほどの差があることは前述の通りですが、人を診るということに強い情熱を持って取り組む人はたくさんいます。だからこそ、現代社会で自分たちができること&世の中から求められていることを見極めていかなければいけないと思っています。

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骨折、脱臼、捻挫、打撲、挫傷といった怪我に対する整復、固定、後療法は自分たちの資格の根拠となっているものでもあるので、その技術を”学日続けること”や”実践すること”を放棄せず、もう一方で今の時代に求められる(ニーズに合った)新しい柔道整復師としての形を模索する必要があるんじゃないかな。

恩師の言葉を借りれば片脚は”柔道整復師”、もう一方の片脚は”自分なりの武器を持った自分”を確立した上で両脚を地につけて現代社会の中で生きていくことが必要なんじゃないかなと思います。

僕が自分なりの武器に選んだのは、ランニングであり、トレーニング。体を根本的に良くしていく(改善していく)ためには、治してもらうという意識じゃダメで、自分で治る(治す)という主体性が大事だなと思っているからです。

トレーニングに関する情報は世の中に山のようにあふれているので、何を根拠にしてどう伝えていくかは、実は結構難しく、いろんなものを学びましたし、自分の体でもたくさん試しました。

そんな中で一番自分が納得し、手応えを感じたのが先天性連動という考え方。今の腰痛専門治療院BACK AGINGで採用している治療方針です。


いよいよ本題突入・・・その④につづく

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