THE YELLOW MONKEY 『JAM』の歌詞を考える。
夏になると反戦の歌を聞きたくなる。やっぱり、日本人にとって夏はそういう季節だ。もちろん、私が生まれてからこれまで戦争をしていない日なんて1日もないんだろうけれど毎日思いを馳せることなんてできない。でもせめて夏だけは。
そういうわけで、こないだイエモンこ『JAM』を聴いていた。
やっぱりこの曲は良い。初めて触れた時、すべての歌詞が衝撃的だった。
中でも最も衝撃的だったのはこの歌詞。
この歌詞をはじめて聞いたとき、
「言われてみればそうだ。今までなんでこんな単純なことに気付かなかったんだろう。ひどい。けしからん。私はこのニュースキャスターのようになってはいけない。」
と思った。
しかしこないだこの曲を聞いたとき、私は自分が浅はかだったということに気が付いた。良い悪いのそんな単純な話じゃない。
この歌詞はこう続く。
この曲を歌う彼らは何を思えばいいのか、何て言えばいいのか分からなかったのだ。
私たちは世界中のすべての人を平等に扱うことは出来ない。
外国人より日本人
東京都民より〇〇県民(私の地元)
他人より家族
距離が近い人が、同じ集団に属する人が、傷つく方が辛い。
顔を見たことのない誰かよりも家族が傷つく方が辛い。
隠さずに言うと、どこかで知らない誰かが死ぬことよりも、目の前にいる家族が何かに悩んでいることの方が辛い。
そう感じるのは人間として仕方ないことだと思う。
それでも、仕方ないで終わらしてはいけないように思う。
だから
だったのだ。
私はあのニュースキャスターだ。
でもそれを知っておくこと、私がそういう人間だと知っておくこと、それがこの問いに対する今の私の答えだ。
あくまで、私がそう思うというお話。
だから本当がどういう意味かは分からない。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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