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『終りに見た街』宮藤官九郎版の考察じゃなくて感想
9月21日に放送された『終りに見た街』、山田太一の同名の原作小説を宮藤官九郎脚本で映像化、主演は大泉洋。
感想を書きたくなるくらい良かった。
以下ネタバレを含むので、見ていない人は今すぐ見てきてください。
10月5日までTVerで見逃し配信をしているそうです。
以下、あくまで私が思ったことです。感想だったり、考察っぽい感想だったり。また、原作は読んでおらずドラマだけの見た感想なので悪しからず。
まず、全体としていい。面白い。クドカンと大泉洋、最高。
前半のコミカルさと後半のシリアスさの対比が最高。
前半のコミカルさによって後半で描かれる戦争というものの悲惨さ、理不尽さというものが強調される。
それだけでなく、前半のコミカルさにより、視聴者をがっちりと掴む。戦争を題材にした作品は、いろいろと考えさせられるし、面白いけれど、なかなかとっつきにくかったりする。この作品はこのとっつきにくさを克服している。
また、コミカルさによってタイムスリップがリアリティを増す。わけのわからない現象に直面した時、この大泉洋演じる主人公のように笑ってしまうのではないだろうか。
私にとって特に印象的だったのは、今まで見てきたものがすべてひっくり返されるラストシーン、それと子供たちが軍国主義に染まっていくシーンの二つだ。
まず子供たちが軍国主義に染まっていくシーン。
最も軍事主義に染まったのは奥智哉演じる小島新也。新也は2024年の世界では社会に適応しきれていない青年。堤真一演じる小島敏夫の手のかかる息子という設定だ。現代社会では気力を失っている新也が戦時下おいて生き生きとしだす。
このシーンを見ていて、「引きこもりなど社会に適応できていない人がひとたび震災などが起こると力を発揮することがある」という話を思い出した。
多様性が叫ばれる世の中で不登校は年々増加し、40歳未満の無職の人は87万人を超え、引きこもりの人は146万人いると考えられている。
自由にしていい、個性が大切と言われる世の中は優しいようで残酷だ。存在意義を、生きる意味を、すべきことを、誰も教えてはくれない。
しかし戦時中においてそれははっきりとしている。
「お国のために生きる。お国のために死ぬ。」
そういう世界。
もし私が、あの時代にタイムスリップしてしまったらどのように振舞うのだろうか。
理想としては、外では
「日本は良い国。清い国。世界に一つの神の国。」
日本万歳、戦争万歳、と振舞い、
家の中では、心の中では「こんな戦争」という考え方を貫くことだろう。
果たして私は大泉洋演じる主人公のように「こんな戦争」という姿勢を保つことが出来るのだろうか。
また、単純に主人公の取った態度が子供たちの取った態度よりも優れているなどと言えるだろうか。
次にラストシーン。
焦土と化した現代の東京と左手を失った主人公の姿に驚愕した。
私は平和な結末を想像していた。
何らかのきっかけで平和な元の世界へと戻る
または
無事に終戦を迎える
といったような結末を想像していた。
大泉洋が演じる少しコミカルな主人公が腕を失う、ましてや亡くなるなんて想像もしていなかった。
悲劇は突然起こる、あなたの身にも降りかかるかもしれない、戦争は理不尽でわけのわからないまますべてを奪っていく、ということだろうか。
ストーリーとしてどうなっているのかもよくわからない。
タイムスリップ直前の雷のようなものが実は原子爆弾で、タイムスリップしたと思っていたのは被爆した主人公の走馬灯のようなものなのかとも思ったが、主人公がきている服、持っている水筒、地面に落ちているめんこなどを考えるとそういうわけでもなさそう。
このわけのわからなさ、腑に落ちなさは戦争を象徴しているのではないだろうか。
私は普段ならわけのわからない展開の作品が嫌いなのだが、この作品にはそういった感情を覚えなかった。計算されたわけのわからなさのように思えたからだ。
この作品には不可解な点が他にもいくつかある。
ひとつは勝地涼演じる人物の意味だ。
タイムスリップした戦時中の世界で何度も登場するのも謎であるし、最後のシェルターがどうこうとかいうくだりも謎。
最初に資料をデータではなく紙で送ってきたのにも何かしらの意味があるのかそれとも単にタイムスリップした世界でも見ることが出来るようにするためなのか。
勝地涼の存在の意味が分かれば、全体を通した、理解可能なストーリーが構築できるのだろうか。
一晩考えてみたが、面白い考察は特に思いつかなかった。
次にラストシーンに現れる主人公の母親と思われる少女とそれを背負う初恋の相手と思しき人物。あそこで彼らが出てくるのは時空の歪みを表しているのか。わざわざ登場させることにどんな意味があるのだろうか。
他にもいろいろと気になる小ネタもたくさんあった。
ひとつあげるとするなら、題名が「町」ではなく「街」を用いているのは現代ということを暗に示していたのではないだろうか。昭和20年の「下町」ではなく現代の「市街地」といった感じで。といっても作者はすでに亡くなっているから本当のところは知りようがないのだが。
まあとにかく面白かった。
いろいろと考えさせられたがうまくまとまりそうにないのでこの辺で。
原作小説も読んでみたいところではあるが、多分読まないだろうなあ。最近集中力がなくてあまり本読めないし。
ということで本日はここまで。
お読みいただきありがとうございました。
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