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妥当性とは何か~一般教養の授業も面白いよ~

以前心理学の授業で以下のような課題が出た。

「授業で扱った理論の中から自分が最も『妥当だ』と考える理論を一つ選び、なぜ妥当だと思うのかを論じなさい」

授業で扱った理論は以下の6つ。
フロイトの理論、エリクソンの理論、アタッチメントの理論、マレーらの理論、マズローの理論、ロジャーズの理論

このレポートに私は頭を抱えた。何をもって妥当と言えばいいのか分からない。



ちょうど同じ学期に論理学の授業を受けていた。
論理学の授業では真理表やタブローの体系、自然演繹などが扱われる。
そのなかで妥当性についての話が出てきた。

論理学における「妥当性」とは演繹的推論の正しさのことを言う。


演繹的推論が妥当とは、その推論の前提が真であり、かつその推論の結論が偽であることはあり得ないということである。

授業のレジュメ

妥当かどうかは推論の形のみで決まる。
すなわち、論理学における妥当性とは思考の過程の正しさのことである。

一方で、論理学には「健全性」という概念がある。

演繹的推論が健全であるとは、その推論が妥当であるかつ、すべての前提が真であるときである。

授業のレジュメ

「論理学」おける健全性という概念が、私たちが日常的に使う「妥当」に近いように思える。


さて、この論理学の考え方を使って冒頭の心理学の課題に取り組むとするならば、私がすべきことは

1.正しい前提を置く。
2.それをもとに正しい推論を構築する。

ああ困った。
まず普遍的な前提なんて置けないよ。
隙のない推論なんて構築できないよ。
人間なんて、というか生物なんて例外のオンパレードなんだよ。

というのが私の心の声。それと同時にどうすれば相手を説得する論理が築けるかワクワクもしていた。

といっても結局書けたのは
「こういう事例がこの理論によく当てはまる」
といったようなものだけだった。しかし先生からの評価は良かったので、先生は求めていた内容は満たしていたらしい。

このレポートを書いていたころ、私は

心理学の分野で一般相対性理論のような”正しい”理論を構築するのは本質的に無理なのか、それともまだ心理学というものが発展途上なのか

などとぼんやりと考えていた。



その後、科学哲学という授業を受けた際に、一般相対性理論も完全なものではないと知った。
科学というものの性質上、100パーセント正しいとは言えず、あくまで正しいだろうという仮説でしかないと。

科学というのは、仮説の集合であり、その中の仮説はもしかしたらいつか誰かが間違っていることを証明するかもしれないものである。


科学というのはある種の宗教である

不明

なんてことが昔読んだ本に書いてあった。


おちが分からんくなってしまった。
っていつもおちのない文章を書いているんだけど。

まあ、一般教養の授業もちゃんと受けると面白いよといったところだろうか

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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なのはな
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