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日常を切り撮って、”非日常”にしてみた。

2020年4月7日。

「緊急事態宣言を発出することといたします」

この首相の一言で、僕たちの日常は一瞬で姿を変えてしまいました。街から人が消え、得体の知れないウイルスに怯える日々が続きました。


その日から少し遡って、2020年3月下旬。


あたたかい日差しと冷たい風。窓を開けるとアンバランスな天気。”外出自粛”の4文字に素直に従ったことで、思わぬ断捨離ができて心なしか、少しばかり広くなった部屋。それでも大きく変わらない景色を、ぼーっと眺めていました。

「何だか、つまらない」

そんな声が、スマートフォンの画面から漏れてきていました。やり場のない感情を誰かにぶつける人、とにかく吐き出す人、落ち込む人。改めて思い返すと、「混沌」としていたように思います。

僕は昔からとにかく旅に出ることが好きで。海の外に出て、自分の知らない文化に触れて、よくわからない文字に囲まれながら新しい場所の風を感じる”あの瞬間”が心から好きでした。

COVID-19によって奪われたのは僕にとっての「非日常」そのものでした。

文字通り、行くはずだった旅行はキャンセル。手元には、旅先で使うはずだったお金が行き場をなくして戻ってきました。「何かをしたい…」、そう思ってある企画を思いついたんです。


「日常を切り撮ることで、それは非日常になるのでは?」

みなさんがカメラを向けるのは、どんな瞬間でしょうか。美味しい料理を食べにいったとき。綺麗な景色を見たとき。友達と馬鹿みたいに騒いだとき。そういう、いつもの日常にはない”特別な瞬間”にカメラを構え、想い出として残しておきたいと思うことが多いはずなんです。

だとすると、日常のなんでもない瞬間を意識的に写真に収めようとしたらその時点でいつもとは違うのでは?と考えたんです。(なんだか哲学的な話になってきましたね。ついてきてくださいね。)

でもそれだけだと、なんか面白くないなと思い、さらに考えます。

いつも使っているスマートフォンで撮るんじゃなくて、『写ルンです』で撮ったらさらに”非日常感”が出るんじゃないか?と思ったわけです。

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気づいたら、写ルンですを大量購入していました。(画像は一部)

僕のキャンセルされた旅行代は、写ルンですに姿を変えたんです。写ルンですでなんてことない日常を切り撮ったら、それは非日常になる!と、わくわくする気持ちを抑えながら、Facebookに投稿をしました。やったことは以下の通りです。


僕が写ルンですを送る

27枚、「日常」を撮ってもらう

僕に写ルンですを送り返す

僕がそのデータを現像して、撮ってくれた人に返す

写真を集約にして、作品にする


「なんで送り返すの?」「日常を撮るだけなら、送るだけでいいじゃん」

いえ、違うんです。送り返してもらうことに意味があるんです。最初に申し上げた通り、コロナによって僕の非日常だった「旅」に行くことができなくなりました。海外はおろか、国内ですら移動がままならなかったあのとき。

「行けないんだったら、旅に来てもらえばいいんだ」

これが、僕の出した答えでした。

そうです、写ルンですで撮られた『誰かにとっての日常』は、間違いなく『僕にとっての非日常』なのです。(大丈夫ですか、ついて来れていますか)

写ルンですを受け取った誰かは、「ちょっと外に出てみようかな」とか「これで何を撮ろうかな」と、きっといつもより少しだけワクワクするだろうな、と思いまして。レンズを覗いて見える景色は少し違って見えるだろうな、と思いまして。

それを自分にもお裾分けして欲しかったのです。

あと、その写真がどんな風に仕上がるかもわからないどきどきを味わってほしくて。だから、敢えて現像はせずに送り返してもらうことにしたんです。


「世界は広くて、ときどき小さい」


これは僕が旅をするときに、大切にしている考え方です。

世界はどこかで繋がっていて。「また会おうね!」といって別れたら、いつかまた会える気がしたり。たまたま通りかかったレストランから香る匂いで、全然知らない場所でも「なんか懐かしい気がする」と感じたり。

自分は”旅”や”写真”を通してそれを表現したいと考えていました。

しかしながら世界のどこにも足を運べない。ならば自分が行かずにカメラに旅をしてきてもらおう、それがこの企画を決行したもう一つの理由です。

「つまらない日常に、ちょっとワクワクして欲しい」
「そしてその日常の中に少しでも非日常を感じて欲しい」

その小さな想いから走り出したこの企画は、いつの間にか自分もワクワクするものになっていました。

残念ながら、航空便が停まってしまったことなどで、海外の人たちにはカメラを送ることはできませんでした。しかし、「参加したい」と言ってくれた海外の友人がいたので、写真を送ってもらいました。

何の変哲もないベッドルームやベランダからの景色。スーパーで買ってきた食材。

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日常にありふれているもののはずなのに、”非日常”になった写真たち。

どのSNSにも載らないような、「普通の風景」が手元に集まってきます。それがなんだかすごく新鮮で、真新しくて。

この”写ルンです”をみんなの元に届けたのは、緊急事態宣言が発出される前。その頃は、まさかあんなことになるなんて思ってもいなくて。けれど、日常は確かにそこにあった。その瞬間を残すことができたのは、大きかったんじゃないかな、なんて思っています。

いつか、「あのとき」を思い出すためのきっかけになれば。

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「日常を撮る、ってなんか不思議な感じ」

「現像するまで何が写ってるかわからなくてドキドキする」

実際に撮ってくれた人たちからは、そんな声を聞くことができました。

そして、約20名から集まった「日常」は、音楽に乗せてひとつの作品にしました。(※その映像に使用した写真は、顔が出ていたりするため、友人までの公開)


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外に出ると、後ろ指をさされる。

”散歩”や”近所の買い物”だけ許されていた、そんな日々のなかで撮られた”日常"、それから2年。

「写ルンですで日常を切り撮る」と、いま考えるとよくわからないことを真面目にやっていたあの時は、紛れもない”非日常”だったんだなあと改めて思います。


あのとき、僕は、旅をせずに、旅をしました。


僕の中の、やってみた大賞。


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#やってみた大賞

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