「女性ならではの感性」と聞いて
「女性ならではの感性や共感力を発揮してもらいたい。」との岸田首相の言葉に批判が出ているようだけど、私は昭和の行き届いた教育を受けているので、なんのためらいも無く「女性ならではの感性は、細やかな気配り、場の空気を読む力、謙虚な姿勢、協調性を大切にする、柔軟に物事を受け止める…」等々言葉に出来る。そして、こういう力を駆使して下支えして欲しいというのが首相の心根なのではないか?とまで配慮がいく女性ならではの感性もある。
また、「女性ならではの感性」と聞いて松田青子さんの「女が死ぬ」に載っている「男性ならではの感性」を思い出した。男性ならではの感性がもてはやされ、社会を席巻していくバカらしさに笑ってしまう。同じように女性ならではの感性について考えてみると、こんな私でもやっぱりバカらしく思えてくるから不思議だ。
それに、「良妻賢母」とか「女の敵は女」とか「男は度胸、女は愛嬌」とか世間に出てくる女性に対する言葉は誰かにとって都合が良すぎないか?それらしく聞こえるけれど、ただの呪いじゃないか?とも思う。
そして、女性ならではの共感力と問われると、同じく松田青子さんの「We Can't Do It!」の言葉には頷くしかない。それにしても、こんなに女性ならではの感性と女性ならではの共感力が相反していて良いのだろうか?いつも、女性としての自分を考えると矛盾と葛藤と嫌悪感に悩まされる。
この文の最後は「死んでもできない!」と締め括られている。女性の直感から言うと、この手の女性には気をつけた方がいい。何故なら、こうやって自分を偽ってまで安心、安全に過ごそうなんて思っていないからだ。私は安心、安全に暮らしたいばっかりに矛盾ばかりの暮らしをしているのかもしれない。