ケンカはいつでも出来る
お盆期間が終了して、長男の嫁として何とか無事にお役目を果たせてひと段落…と脱力しているところ。今年はここ数年の自粛ムードもすっかり消えて、以前のように多くの来客があったし、夫の兄妹家族も帰省してきて賑やかなお盆だった。
お盆やお彼岸、お正月は長男の嫁としての繫忙期なので自分の実家のことはスッカリ忘れてしまう。私も50歳を過ぎているので、実家の方も祖父、祖母は勿論のこと父をはじめ多くの親戚が仏様となってしまった。お墓参りにも行っていないので、せめて一人一人の昔の姿を懐かしく思い出していると際立つ存在は父方の祖母。セブンスターだったかハイライトだったかの煙草を片手に貫録たっぷりの姿は今でも目に焼き付いている。
そんな祖母の言葉で思い出されるのが「ケンカはいつでも出来る」
安易にケンカなどしてはいけない、との戒めの言葉だけれど聞いた当時は何故か「おばあちゃん、カッコイイ!」と幼心に思った。
今になって改めてこの言葉の意味を考えると、祖母の生きてきた時代を思うことになる。世間が物騒な気配を見せはじめる戦前に結婚をして、戦中、戦後の過酷な時期に子供を何人も産み、また亡くしながらも家庭を切り盛りしてきた祖母。サラリーマンの妻だったはずが戦後の混乱で祖父は会社を辞めて、祖母と2人で商売をはじめることになる。はじめた頃は幼い子供を抱えながら酷く苦労したようだ。もしかして、煙草を吸い始めたのもこの頃かもしれない。皆が貧しく、飢えて、苛立ち、憔悴し、混沌とした時代に不慣れな商売で理不尽なことに悔しい思いをしたことも多かったと思う。それでも、したたかに生き抜くためにはつまらないケンカなどしていられない時代。だから、負けん気の強い祖母は「ケンカはいつでも出来る」と自分に言い聞かせて律してきたのだと思う。挑発に乗らず、感情に煽られず、ひとまず腹に納める。
賢い現代人は「つまらない人は相手にしなければいい」と簡単に言うのかもしれない。でも、祖母は自分の感情を無視し、軽くあしらうことで終わらせない。相手を射程圏内におさめながらも、些細な諍いが取り返しのつかないことになることや、お互いに深い傷を負うこと、大損することを理解して憤りを飲み込んだ。ただし『やるとなったら何時でもやってやる』という気概を持った我慢が昔の人らしいな…と思う。
そんな祖母だから亡くなった時のことも思い出深い。晩年は心臓の疾患で入退院を繰り返していた。そして、最後の入院時は自分でも何かを感じとったのか「今回はもう家には帰れない。」と娘である私の叔母に亡くなった後の段取りについて色々と話したそうだ。それから数週間しないうちに病院からの連絡で祖母のベッドに家族が集まった時、最期の言葉は「はい、おしまい。」お見事っ!としか言いようのない最期だった。
葬儀からしばらくたって、祖母の自宅にひとりのご婦人が娘さんに付き添われてお線香をあげに来てくれた。入院時に病室が一緒だった方で「楽しい方でした…」と祖母との思い出話しをしてくれたのを叔母から聞いて、祖母らしいな…と嬉しくなった。
ふと、今ごろ祖母は天国でどうしているだろう?と考える。よく耳にする『故人が天国から家族を見守ってくれている。』なんて言葉は祖母には似合わない。きっと「やっと娑婆から足抜け出来たんだから、そちらのことはそれぞれ好きにやって。」と大好きな煙草をくゆらせ言うだろう。それくらい懸命に時代を生き抜いた娑婆が似合うカッコイイ祖母だった。