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迷惑と生命の在りか

 下書きに残ったままの、書きかけの文章をみつけたので、随分経ってしまったけれど続きを書いてみた。


 ネットで山田太一さんの訃報に関連したYahooニュース記事を見て、改めて『迷惑をかける』ことについて考えさせられた。

 今も歴史的名作として語り継がれているNHK「男たちの旅路」(1976年)シリーズの「車輪の一歩」では、障がい者との共生を呼び掛けた。 

 これを書くため、3年も障がい者たちと交流した山田さんは「障がい者の方はもっと周囲の人の手を借りてもいいんじゃないか」と考えるようになる。 

 「誰かに頼み、手伝ってもらえばいい。ところが、日本人は『他人に迷惑をかけてはいけない』と教え込まれていますから、障がい者の方々は遠慮してしまう。自宅から出にくいような状態でした」(山田さん) 

 そして生まれた「車輪の一歩」では、鶴田浩二さんが扮した主人公のガードマン・吉岡晋太郎が、世間に気兼ねして外出を控えている車椅子の若者たちに対し、こう語り掛け山田さんの思いを代弁した。 

 「人に迷惑をかけないというのは、今の社会で一番疑われていないルールかも知れない。しかし、それが君たちを縛っている。だったら迷惑をかけてもいいんじゃないか。もちろん、いやがらせの迷惑はいかん。しかし、ぎりぎりの迷惑はかけてもいいんじゃないか。いや、かけなければいけないんじゃないか」

 『人に迷惑をかけないというのは、今の社会で一番疑われていないルール。』という台詞にドキッ…とさせられた。

 私も『迷惑をかけるから…』と周りの人に止められたことがある。数年前に激しい眩暈と嘔吐を伴う突発性難聴で救急搬送されて以来しばらく大好きなコンサートには行けなかった。軽い眩暈や体調が不安定なことも時折あったけれど、『行けるかも?』と自分で思えるようになって2年半ぶりに宮本浩次のコンサートチケットをとった時「耳も完全には回復していないし、もしコンサート会場で眩暈で倒れでもしたら周りの人に迷惑をかけるし止めておいたら?」と言われた。

 他人に迷惑をかけてしまうかも…と思ったら、罪悪感も感じて悩んだけれど、そうなったら日本の国民性を信頼して『申し訳ありません!ご迷惑をおかけします!』とバッタリ倒れ、迷惑をかける覚悟で行くことに決めた。

 当日は、倒れる前提?で荷物は極力減らし、肩から斜め掛けの小さなポシェットひとつにした。思いがけなく、この身軽さが実に快適だった(笑)ポシェットの中も、財布と運転免許証とハンカチ、ティッシュにスマホ。財布の中も余計なカード類は抜いてクレジットカード1枚、健康保険証と現金を少しだけ。そして最後に、あの音量に耳が持ち堪えられるかも不安だったので耳栓を忍ばせて家を出た。耳栓を持ってコンサートに行くなんて…と呆れる方もいるかもしれない。

 色々な不安要素があるなか一歩踏み出そうとする時に『迷惑をかけるから…』の言葉に引き止められることがある。不安と罪悪感のコンビは妙に説得力があって『確かにそうだな…』なんて思い直して諦めてしまう。
 
 でも、迷惑をかけてでもやりたいこと、挑戦したいことには生命が宿っている気がする。そして、それを諦める度に人は生気を失い、弱くなっていくように見える。本当は簡単に諦めては駄目なのかも?相談したり、根気よく交渉したり、時には振り切ってもいいのかもしれない…と思う。

 私も『恐れ入ります。ご迷惑をおかけします。』の連続。そもそも、仕事を持ち、子供や年老いた舅がいる主婦が誰にも迷惑をかけないで自分の好きなことを出来るわけがない。

 迷惑をかけてはいけないという呪縛や得体の知れない罪悪感の陰に隠れてしまっている生命の在りか。世の中にはそんなことが沢山あるのかもしれない。

 山田太一さんも、障害を持つ、持たないに関わらず、世間や自分に遠慮しないでイキイキと生命の在りかに向かっていって欲しいと願っていたんじゃないのかな?

ぎりぎりの迷惑はかけてもいいんじゃないか。いや、かけなければいけないんじゃないか。

 『かけなければいけないんじゃないか』には、そんな切なる想いが込められているみたい…なんて、勝手なことを思ったりした。

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