柑橘類に励まされて春を迎える
3月末日。年度末を迎えて仕事での1年が終わる日。年度末処理とトラブル対応が重なり残業となった。何とか仕事の目途がつき、久しぶりに仕事帰りに夕飯でも食べて帰ろうと上司と近くの定食屋に寄ることにした。建屋の外に出ると敷地内の桜並木が満開となっていた。暗がりにボーっと白く浮かぶ桜の花がなんとも艶めかしく、昼間とはひと味違う桜を味わいながら店に向かった。金曜日とあって店は仕事帰りに一杯やっている客でいっぱいだった。年季の入った店内で、年季の入った男達が楽しそうにお酒を酌み交わしている様子を見ていると、何だかくすぐったい気持ちになる。数年前なら当たり前の光景が、今となると愛おしく思えてくるから不思議だ。そして、私もその一員になれるのが嬉しかった。言葉を交わすことも無いけれど、仕事から開放され、各々にこの一時を満喫している空気感を共に出来る喜びは、宝物かもしれない。
夜遅くに自宅に戻り、やれやれと思う。踏ん張りどころの3月が終わった。毎年3月は、何とか無事に越冬して、寒さの緩みと共に気も緩んで体調も崩しがちになる。そのうえ、仕事は年度のフィナーレで多忙を極める。それでも、こうして桜の季節を迎えられることにホッとする時期。そして、毎年厳しい冬の時期は柑橘類に助けてもらっている。
冬はどうしても暮らしの彩が乏しくて寂しくなる。草木の香りを楽しむことも出来ないし、外気は厳しさばかりで、新緑の頃の空気のように身体を緩ませてくれることもない。そんな日々を過ごしていると、季節の厳しさにつられるように気持ちも殺伐としてくる。そこで私は柑橘類に助けを乞う。あの鮮やかな橙色は目にするだけで元気を貰えるし、独特の清々しい香りには一足先に暖かな陽射しを感じる。そして、口に含んだ時の甘酸っぱさは冬眠しかけている気持ちを覚ましてくれるようだ。
これからが寒さの本番!という年末に温州ミカンは欠かせない。リビングテーブルには必ず籠に盛られたミカンがあって、テレビの特番を見ながらミカンを食べて年を越す。ミカンの乗っていないテーブルの侘しさを思うと、年末のテーブルには欠かせない存在だ。そして、寒さ本番の1月に入るとデコポンを隣のお家から頂く。宮崎県出身の奥様が実家から送られてきたものをお裾分けしてくれるのだ。それを毎朝切り分けて朝食に出す。朝の柑橘類は目覚まし代わりのように気持ちを入れ替えてくれる。そして、2月に入ると店先に並ぶ柑橘類の種類も多くなり、気持ちも弾む。私が子供の頃は普段は八朔、甘夏、伊予柑くらいしか見かけなかったけれど、今では、紅まどんな、文旦、清見オレンジ、せとか…など魅力的な柑橘類が並ぶ。
そして、私には高級品となるのが「せとか」。出始めの時期は買うのを躊躇してしまうが、最近では特売でも売られるようになったので1つ、2つと買っては楽しんでいる。店先でも「せとかは柑橘類の大トロ!」と大胆なPOPが踊っていて、上手いこと言うな~っと感心してしまう。酸味は殆んど無く、濃厚な甘みがギュッと詰まっている。半分に切った時の断面の瑞々しさと鮮やかさは飛びぬけているし、薄皮も本当に薄~くて、ぷるん、ぷるんの果肉を充分に味わうことが出来る。年末のミカンから始まり1月のデコポン、2月の清見オレンジ…と柑橘類に励まされ、3月にせとかを食べるといよいよ春!