春なのに
日増しに陽が延びて、厳しい寒さも緩んできた。明日は啓蟄だし、本格的に春に向かっていく気配を感じる。そして、この時期になると思い出す出来事がある。
不幸は突然やってくる、と言うけれど、私の家にもそれは突然やってきた。6月に結婚を控えていた私は、昨年末から体調を崩しがちになっていた父のことが気がかりだった。近所の内科に行くと風邪との診断だったが、体調は悪くなる一方で3月には総合病院を受診することになった。行ったその日に検査入院となり、その後、癌の告知を受けた。余命などという言葉も耳にした。父母は53歳、私と妹は20代。家族のなかで大病などの経験も無く、命には無頓着だった。そんな家族がこの現実を受けとめられるはずもなく、大いに右往左往した。
4月の上旬、私は妹と2人で父の着替えを届けに病院に向かった。青空の下、病院の周りを囲む桜の木がうっとりする程に咲き誇っていた。そんな様子を逆に恨めしく思いながら病院に入っていく。病室には手首に入院患者を識別するリストバンドを付けたパジャマ姿の父がベッドに居て、入院して日も浅いのに、スッカリ病人が板についていた。否応なしに父は病人で、私達はその家族になっていく。3人で他愛無い話しをしたり、しなかったりで、30分ほど過ごして「また来るね。」と病室を後にした。その頃の病院は、まだ建替え前の古い建屋で天井も低く、閉塞感を感じる薄気味悪い空間だった。病棟から続く長い、長い廊下を歩かせられるように歩いていくと、やっと正面玄関が目に入る。自動ドアが納まったガラス張りの玄関は外の光が差し込み、暗い客席から臨む舞台のように眩しかった。
自動ドアの外に一歩踏み出すと、一瞬曇りだったかな?と違和感を覚えた。比喩だと思っていた『世界が灰色に見える』を体感した瞬間だった。頭が追いつかないまま、目の前には灰色の世界が広がっている。染められたというより、スポイトで色を吸い取ったような、抜けるような灰色は、万物の輪郭線も曖昧にして、私一人を残し景色までも吸い取ってしまいそうに見えた。私は慌ててすがるような思いで隣を歩く妹に顔を向けると、色のついた妹がそこに居て安堵した。「一瞬、灰色の世界を見ちゃった。」妹にそう話しかけようかと思ったけど、何となく面倒でやめておいた。
言葉を交わすこともなく、2人で桜並木のゆるい坂道を駐車場に向かって下っていく。正面玄関から数えて何本目の桜の木を通り過ぎた時だろう。唐突に妹が歌の一節を口ずさみ始めた。
「春なのに~、お別れですか~、春なのに~、涙がこぼれます~」
昔流行った柏原芳恵の『春なのに』は切ない恋の歌だ。それなのに、今の私達の心情を歌っているようで驚いた。
周りに人が居ないことをいいことに、私もつられて歌いだした。率直な気持ちを言えば『春なのに、父が死んじゃうとか勘弁して下さいっ!』となる。そんな気持ちを歌に乗せ、吐き出すことで心が軽くなっていく。お互い真っ直ぐ前を向いたまま、気のすむまで歌い続けた。病院を背にした桜の下で、切実な『春なのに』の一節を歌っている状況があまりにも絶妙過ぎて、なんだか可笑しくなってきた。
「ピッタリでしょう。」と妹が笑った。
「うん、さすが天才。」私はこたえた。
なぜか励ましが説得に聞こえてしまう時がある。「大丈夫」「頑張って」「無理しないで」優しい言葉はどこか他人事だ。そして、意図しない出来事に救われる時がある。なにかとズレている妹は、いつも私に「天才」と言わせてしまう。そして、この時ばかりは天才肌の妹が本領を発揮してくれたようだ。心から有り難かった。