怪物だ~れだ
発表されてからずっと楽しみにしていた映画、
公開初日、雨という絶好の映画日和に観てきました。
とにかく私は坂元裕二さんの脚本が好き。
日常に潜む生きづらさを抱えている人にスポットを当てるような、
ささやかな優しさを携えた台詞の数々。
それらがたまらなく、愛おしく描かれている。
そして今回は坂元裕二×是枝裕和×坂本龍一の最強タッグ。
もうこんなの、観る前から優勝じゃん…。
(以下、ネタバレ含みます)
(これは本当に情報無しで観たほうがいいので、まだの人は映画館へ)
「怪物だ~れだ」
不穏な響きをもったこの言葉に、びくびくしながら。
いったい、怪物とは何のことだろう、と考える。
母にとっての怪物は学校の先生だろうか。
担任の保利先生にとっての怪物は校長だろうか。
学校の先生たちにとっての怪物は親だろうか。
親にとっての怪物は自分の子どもだろうか。
子どもにとっての怪物は大人だろうか。
それとも、自分の心だろうか。
視点の移動に伴い、「怪物」の持つ意味が異なる。
全員不気味で、全員人間くさくて、全員まともだ。
「いつか結婚して家族をつくって欲しい」
そんな幸せを望む親の気持ちが、
密かに子どもを傷つける。
自分に芽生えた得体の知れない新たな感情が、
人を傷つけ、自分を傷つける。
きっと、いや、必ず、誰も悪くない。
子どもを想って何度も学校に行く母も、
学級崩壊を起こしつつも精一杯子どもと向き合う担任も、
学校を守ろうとする先生たちも、
自分の子どもを気味悪く感じる親も、
友達に対する新たな感情も、
なにも間違っていない。
一方向からは見えないだけで、それぞれに想いが隠れている。
インディアンポーカーに似たゲームをしているとき、
「キックしますか?」
「いいえ、それは敵に傷つけられても、痛みを感じないようにします」
「それは、依里くんですか?」
と答える以上の、愛を示すものがあるだろうか。
「幸せになれないということがバレるから、嘘をついている」
という告白に、音とともに寄り添い
「誰かがなれないものは幸せとは言わない」
と、これ以上の言葉をかけられる教育者がいるだろうか。
一瞬でも見逃すと、違った見え方になるような、そんな尊いものだった。
少し話が映画からそれるけれど、
丁度私は、朝井リョウさんの「正欲」を読んでいた。
その中で、多様性について何度も問われる。
結局自分は、「安全地帯」である多数派に属しているという
意識があるからこそ、理解したいなどと思えるのだろう。
あくまでもそれは、自分の認識できるものまでが発想の限界であり、
認識を越えるものは「多様性」などと言いつつも無意識に
排除しているのだろう。
そんな、自分の考え方の怖さを突きつけられていたからこそ、
誰もの中に潜みうる「怪物」の存在を、よりリアルに感じた。
エンタメの親和性はどこまでも高い。
二人がどこかの山で、走り回っている気がする。
どうか、全員が笑える世界であってほしい。
雨の日に観て良かった。
次の雨の日、もう一度彼らに会いに行こうと思う。
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