天国にいる父の誕生日に寄せて💛
7月20日は、3年前に86歳で亡くなった父の誕生日。
生前、私は父と同じ7月生まれだから、家族での誕生会は合同ですることが多かった😃
誕生会と言っても、お寿司屋か鰻屋に外食にいくだけだけど・・・(笑)
父の誕生日のプレゼントは『父の日』と1ヶ月しか変わらないため、いつも悩んだ。
なので、大抵
どちらかは夏用衣類やサンダル、
どちらかは父の好きな『水羊羹』系甘いモノ
と決めていた✨
穏やかで優しい父
父はとても穏やかで、優しい人だった。
いつもニコニコと笑顔で接してくれるので、父といると安心感を感じさせる人だった。
お人好しで騙されたり、バカにされたりすることもあったようだが、決して人を恨んだり、非難したりすることはなかった。
また、父は私の子ども達のこともとても愛してくれた。
長女は、どちらかというと順風満帆、成績もよく、バレエやピアノなどの習い事でも舞台に立ち、誰からも褒められるタイプだ。
もちろん、長女の姿を見てもいつも喜び、長女を褒めてくれていた。
でも長男は、「山あり、谷あり」の人生で、なかなか人に認められることも少なかった。
そんな長男のことを
「私は、Sくんが大好きだよ、あの子はいい子だよ」といつも言ってくれた。
長男に対しても、「私は君が大好きだよ」といつも言っていた。
決して、「頑張れ」とは言わなかったが、どれだけ長男を励まし支えてくれていたか・・感謝に堪えない。
そんな父のおかげで、長男は、父と同じように、優しくて穏やかに成長している。
また、関わりのあった障がい者に対しても愛を注いだ。
定年まで教師として働き、退職してからは障がい者のための「NPO法人 ひこばえ作業所」を母と一緒に立ち上げ、最後まで理事長を担った。
作業所の通信を作り続け、「障がい者の人権」を守るために発信もしていた。
庭仕事の好きだった父・働き者の父
父はお花を育てたり、庭仕事をすることも好きだった。
今の家を建てたのは、土いじりや花を育てるのを思いきりしたかったから。
以前の家は借地で庭がなかったのだ。
退職後、父は大好きな土いじりや花や野菜を育てることを楽しんでいた。
いつも汗びっしょりかいて庭仕事をしている働き者。
私はと言えば・・
私の夫が二世帯住宅を増築し、同居してからも、広い庭をいじったり、作物を作ることにあまり興味はなかった。
草むしりは仕事で嫌と言うほどしていたし、仕事で野菜も育てていた。
家に帰ってまでする気にはなれなかったのだ。
家は、休むところ。
そう思っていた。
父も歳を重ね、持病が増え、庭に手が行き届かなくなると、シルバー人材で草むしりを頼むようになっていた。
それでも私は手伝わなかった。
いや、もし父が私に「手伝ってくれ」と言っていたら嫌々でもやっていたかもしれない。
でも父は私に庭仕事を求めることはなかった。
逆に、2階に住むわが家の洗濯物を取り込んだり、畳んだり、引き出しにしまうまでしてくれていた。
私は、本当は私が家事に手が行き届いてないことを指摘されているようで嫌だった。
でも父はニコニコした笑顔で
「まだ、私も役にたつだろう❔」と言うので、「やらなくていいよ」という言葉は言えなくなってしまった。
むしろ、「ありがとう、嬉しいよ😄」といつも言っていた。
歳を重ね、持病も増えた。
心筋梗塞、肝臓がん、重症筋無力症など、難しい病気にもなった。
何度も入院、手術を繰り返したが、退院して帰ってくれば、次の日には庭に出て、わが家の洗濯物を取り入れてくれた。
晩年、さすがに、動くのもゆっくりで、足もおぼつかなくなり、2階に上がるのも心配になったので、「やらなくても良いよ」と声をかけても、「私の仕事を奪わないでくれ」と言う。
私や家族が喜ぶこと、それが父にとっての喜びだったのだ。
父は亡くなる数日前にも、洗濯場の不安定なところを紐で縛ったり、自分で育てたジャガイモの芽を取って、綺麗に新聞紙で包んだりしてくれた。
そしてまた嬉しそうに、ニコニコと自分のしたことを私に報告してくるのだ。
「凄いね、お父さん、ありがとね💓」
私がそういうと、さらにニコニコ顔が増していた。
あの笑顔。。忘れられない。。
空を見上げると、父の笑顔が見えるような気がする。
だから、私は青空が好きなのかもしれない💛
父の最後のとき
ジャガイモの芽を取った3日後、父は胸の苦しさを訴え、緊急搬送された。
敗血症だった。
仕事をしていた私は、入院した連絡を受け、早退して帰るときも、まさか「死」が、近づいているとは考えもしなかった。
ドクターの説明を聞いても、きっとよくなると思っていた。
今までも何度も不死鳥のように甦っていた父だったから。
それでも、次の日は職場に休暇願をした。
なんとなく、そばにいたほうが良いと思ったから・・。
入院して次の日、父が亡くなるときにそばにいたのは、私だけだった。
母は「少し休みたい」といって家に送ったすぐあとだった。
母が帰るときは、話もしていたし、ベッドの中で一緒に体操もしていたのに・・。
突然、血圧が不安定になり、息苦しい表情の父を見て、手足をマッサージしながら、
「少し眠れるといいね、寝ていいんだよ」と声をかけた。
うなずいて目を閉じて、それから少しして、装置から緊急音が流れた。
看護師さんが来て、先生も来て、部屋から出されて、母に電話した。
「嘘でしょ⁉️」
そこからのことはよく覚えていない。
ただ、弟に連絡をして、先生には母と弟が来るまで、待ってほしいと言ったのだと思う。
そのあと病室で二人きりになった。
死を迎えても声は聞こえている、と言われていたので、思い切り父を抱き締め、頭を撫でて、額にキスをして、
「おとうさん、ありがとね、おとうさん、大好きだよ、神様、お父さんを誉めてください」と言い続けた。
あのときの私の声は父に届いていただろうか、
届いていたと信じたい。
父から受けたバトン
父が亡くなり、翌年に義父母も亡くなり、私は「人生の終わり」について深く考えるようになり、長年勤めた職場の退職を決めた。
父と母が作った「NPO法人」は、母も含めて当時の理事が高齢化したこと、コロナ禍であること、さらに福祉の制度が変わったこともあり、昨年度、母と私で解散の手続きをした。
残念だが、母と一つの区切りをつけることができて良かった。
そして退職した春から
父が残した畑で野菜やお花を育てて、大きな庭の草むしりに追われている。
いつも父がそばにいるように感じながら、過ごしている。
そしてそんな私を見ながら、母は
「お父さんが喜んでるよ、私も嬉しいよ」
と言う。
母が喜んでくれることも、今の私の喜びだ❤️
「お父さん、大好きだよ💛、でも、もう少しお母さんと一緒に過ごさせてね❕」と思いながら・・・。
終わりに
実は、今まで父に関する記事をいくつか投稿している。
最近、私の写真に、綺麗な蝶々が写り込んでいる。
なんとなく、父が挨拶に来てくれている様な気がするので、その写真も。。。
ありがとう、おとうさん!
お誕生日おめでとう🎁🎂🎉
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