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【第17回】『ランビエの絞輪』〈管理栄養士・宇田川 舞が解く栄養ミステリー〉


第17回『ランビエの絞輪』第二章 アポトーシス 3

 帰宅すると、舞はテレビを点けた。七時の全国版ニュースが放送中だった。政治家夫妻の汚職事件だ。「またこのニュースか」と、舞がうんざりしていると、画面が切り替わる。
「今日は、ご覧のようなニュースをお伝えしています」
 女性アナウンサーの声と共に、今夜のニュース一覧が映った。トップニュースは神奈川県で起きた大型倉庫の火災だ。
 二番目に「井田製薬、鬱病治療薬『モーニスコプラ錠』の日本における製造販売承認取得」とあった。詳細内容は、九時のニュースか、ネットニュースで見ればいい。
 喜多川は職場のテレビで、もう見ただろうか? 舞は、喜多川が「リスト要請」とパソコンに打ち込んでいた様子を反芻した。
 芦屋医大には、モーニスコプラを処方した患者のリストがある。警察の要請なら、大学側もリストを提出するだろう。患者のリストを作成したのは、薬剤師の北島楓だ。セクションが違うので、楓が舞にリストを見せてくれる可能性は低い。
 優子や角倉は治験に協力していなかった。だが、優子は教授だ。正当な理由を述べれば、見せてもらえるだろう。
 舞はテレビを消すと、ソファに座り、脚を延ばした。通勤用のリュックから、A5版の方眼ノートを取り出す。喜多川から入手できた事実を書き留めた。舞は頭の中を整理する際、パソコンではなく、必ず手書きだ。書く行為が、脳に活力を与えてくれた。
 優子は「被疑者の精神鑑定は、錦城先生が担当する」と打ち明けた。舞は、その理由を推測してみた。喜多川は舞に被疑者の精神鑑定の様子は伝えなかった。守秘義務があるから、当然だ。だが、薬の副作用について、執拗に訊いて来た。錦城の権力なら、自在に画策できる立場だ。
 錦城は、白い女、佐伯桐花から検出された薬物の見当は、ついていた。だが、新薬のプレス・リリース前に、副作用と思われる事件が発覚する事態は避けたい。そのため、薬物の名前を敢えて明かさなかった、と考察できる。
 科学捜査研究所に回せば、桐花から検出された薬物の物質名は、やがて判明するだろう。それまでの時間稼ぎか? 推論に過ぎないが、優子の意見を訊きたかった。
 明日は午前中に大学院の講義がある。仕事は休みだ。土曜日は優子も隔週で出勤している。明日は出勤日のはずだ。土曜日はよく優子がランチに誘ってくれた。
 十号館の総合病棟の最上階に、神戸の老舗《御影ホテル》が運営するレストランが入っている。外来患者の他、一般客も利用できる。平日は混雑しているが、土曜日は外来時間が短いため、比較的空いていた。個室もあり、優子もよく利用している。個室からは山側の六甲山脈が見渡せ、絶景だ。
 舞は、明日のランチに何を食べようかと考えを巡らせた。だが、肉料理を思い浮かべると、途端に食欲が失せた。舞の気丈な精神とは裏腹に、身体は、死体発見の後遺症を引きづっているようだ。
 今日の夕食も、まだだ。舞は冷蔵庫から作り置きのポタージュ・スープを取り出した。マグカップに入れ、電子レンジで温める。マグカップが電子レンジの中で回る。舞は回転の様子を見詰めながら、被害者を解剖した荒垣の行動を反芻した。
 昨日の夕方、荒垣は気怠そうに職員用食堂に向って歩いていた。
――毎日毎日、死体と向き合っていたら、食欲は健常になるのかな?
 荒垣にも質問したい疑問点が山ほどある。医師免許を持たない舞が質問に行くと、親身に答えてくれる。だが、研究に関係のない質問には、シビアだ。舞はスープを飲みながら、ノートを纏めた。

(つづく)

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