私を認めるのは世間ではなく自分
最近やっていることは、自分に向き合うことです。
内観。
瞑想というのは雑念だらけで、どうしたら内観につながるのかわかりませんでした。でも誘導してもらえる声に出会ってから、少しずつ過去の自分が何に怯え、何に苦痛を感じているのかが理解できてきました。
現在抱えている自己否定、認識している自己価値の低さ、対人恐怖、体のあちこちの痛みや息苦しさ。これらは先天的というよりはやはり生まれてから少しずつ積もってしまった「心の癖」なのだと実感しています。
昨日、心のブロックが一つ見えました。
それは「お金を稼がない自分には価値がない」というブロックです。
コロナ渦で仕事量が減り、なぜか集中力もなくなり、お金は減るばかり。不安や焦りが底なしに湧いてきます。その理由が「お金を稼がない自分には価値がない」と囁く内なる自分の言葉のせいだとわかりました。
これまでの人生で、その言葉が強くなる生き方をしてきてしまったのでしょう。今も感覚としてはブロックは抜けていません。気づいただけです。
今も、”生きているだけで素晴らしい”なんてほとんど思っていません。
朝、洗濯して掃除してご飯作って笑顔で家族を見送って。そんなことは「生きている価値」には入らないと感じています。
ただ、瞑想の中で浮かんだのは、まだ3歳くらいの笑顔の子どもでした。愛らしくて、生きているだけで価値のある存在だと感じました。何も意味のあることをしなくても、愛される存在でした。
成人したら急に「社会に貢献するような人間でないと意味がない」と感じるようになったのはどうしてだろう。周りがそう言ったからとういうのもあるけれど、私がそれを受け入れてしまったせいなのかなとも思います。
どんな私でも生きる価値はある、と思える強い自我がなかったんじゃないでしょうか。だって、年齢を重ねたからって人が存在する価値には何の影響もないはずです。
振り返ると、私は自分にも厳しかったけれど周りにも厳しい目を向けていたなと感じます。自分を許すと同時に、今まで怒りを向けていた対象にも同じ温かい目線を持つことが大事だなと感じています。
他人を許すことは、自分を楽にすること。
自分を苦しめた何かは、自分の成長に必要だった。感謝に繋げよう。
これを感覚として会得し、実践し、もっと深い理解に繋がるといいな。そしてたくさんあるブロックの1つ1つを丁寧に解除していきたい……そう思っています。
*nanohana_25さん、素敵なイラストありがとうございます。拝借しました。
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