ただ歩くために歩く、という贅沢な時間
それは穏やかな日差しではなかった。
11月も数日で終わりを迎えるというのに、夏のギラつきを残したような大きな太陽が照りつける一日だった。
――『湘南を歩く人語録』(民明書房刊)より抜粋
第4回「湘南を歩く人」、3名の素敵な参加者に恵まれて無事に開催することができました。
今日は本当に暖かい一日でした。秋の終わりをただひとり感じさせる涼しい風が身近にいなければ、半袖でも過ごせるくらいだったかもしれません。
いつもの鎌倉~江ノ島コース。
湘南の散歩屋さんでは定番のコースですが、歩くたびに新しい発見があり、飽きることがない楽しい道です。
今日は前回よりも少し風が強く、日差しも強い。
前回も快晴だったのに、今日のほうが日差しが強く感じるのはなぜだろう? 心なしか日差しの色も少し白いような気がします。白い光に照らされた世界が、いつもより薄く光って見える。
冬至が近いからでしょうか?
道沿いのお堂の旗が風でカタカタ揺れる音。僕はその音を今日初めて聞いて、風が吹きぬける切通しの音を感じたのでした。
由比ヶ浜を歩いているとき、浜辺の小さな石ころにてんとう虫が止まっているのを見つけました。風に飛ばされないように、丸い石ころに必死にしがみついています。
「あ、てんとう虫!」
「え? こんなところに?」
「ホントだー! すごーい!」
「海にてんとう虫がいるのは初めて見ましたね」
「てか、よく見つけたねこんな小さいの」
「なんか石の上に赤い点がぽつんとあって何かなって見てみたら・・・」
「まさかのてんとう虫」
「えー、どっから来たんだろうこの子」
「帰れなくなっちゃったのかな?」
「写真写真・・・」
「あ、飛んじゃう! 羽を広げて」
「え、え? ちょっと待って、ちょっとだけ待って」
「あ、あぁーー」
「まだ、まだ飛ばない、このくらい離れてれば多分」
「あ、また羽が、もう飛びそう!」
「あ、待って待って!」
「あぁぁーー! ・・・てか、意外と飛ばない」
「羽広げてるのにね」
「・・・あ、これ、風で開いちゃってるだけかも」
「ほんとだ、風が吹いてきたらパタパタしてる」
「本人は飛ぶ気もないのかも」
「勝手に開いちゃうのねー」
なんて会話をいい大人たちがしながら、4人でしばらくてんとう虫を見つめていました。
リサ・ラーソンの「ありをみるこども」みたいな格好で。
途中稲村ヶ崎に道草(寄り道ではなく!)して、なんとなく磯に下りてみんなで生き物を観察しました。
「僕、こういう磯が好きなんですよねー!」
「あの岩に空いている小さな穴ぼこはなんでしょうね?」
「すごいいっぱい空いてる」
「なんだろうね、生き物の巣とかかな?」
「この硬い岩に穴をあけるってどんな生き物だろう?」
「酸とか? この岩をハサミでくり抜くには相当強くないと」
「あ、でもこの辺は変な小さいゲジゲジみたいなのがいっぱいいますよ」
「あ、ホントだ水の中にいっぱい、あ、こっちにも」
「イソギンチャク?はこっちか、ちょっと違うね」
「あ、ほんとだイソギンチャク!」
「水の中にいるのは生きてるけど、この辺で乾いてるのは死んでるのかな」
「あ、ここは波が来たら飛沫が掛かって危ないかも」
「これは貝?」
「石を裏返したら何かいるんじゃない?」
「ん、あれ? 意外と何もいなかった」
「てか水に落ちそうで怖いな」
「小さい石かなんか落ちてないかな。ゲジゲジをツンツンしたい」
「意外と落ちてないね、この辺」
「これは・・・取れない。死んだ貝がへばりついてる?」
「キャー!!濡れたぁ!!!」
磯で遊びながら、今度オトナの遊び会をしようか、子供の頃やったように、かくれんぼとか鬼ごっことか・・・、なんて話をする遊び心満載の大きな子どもたちでした。
バーベキューをやりたい!というリクエストも頂いているので、来年少し暖かくなってきたら、地元の砂浜で「歩く人たちのバーベキュー」を開催したいですね。
子供のように遊び、大人のように飲む! なんて、人生好いとこ取りの最高に贅沢な生き方じゃないかな。
そんな生き方が出来る小さなコミュニティーを作ることは、僕の夢の一つかもしれません。
「何も考えずに安心して歩くことに没頭できました」
頭を空っぽにして歩くことが出来たとMさん。
実は何気ない日常の中にも歩く時間はたくさんあるのですが、つい「時間」を気にしたり、「道順」を気にしたり、「今日の仕事」を気にしたり。
僕たちには迫られていること、追い立てられていること、決めたり考えたりしなければならないことが多すぎて、頭の中はいつもいっぱいになっています。
時計を全く見ないで身を任せるままに過せた時間は、いつぶりだろうか。もしかしたら、それは本当に小さい子供のころだったかもしれない。
僕が少しだけ先を歩くことで、参加者の方に普段の喧騒を離れた自分自身の時間を感じて、安心して過ごしていただけたらと思います。
そんな道を作ることが、湘南の散歩屋さんの唯一のお仕事なのかな。
「自分を大切にすることが一番なんだなって思いました」
という気付きは、本当に大事な気づきだと僕も思います。
それは利己的であれということではなく、自分を大切に出来ない人は、他人を大切にすることもできないと思うから。
自分を大切にする方法を知っていたら、同じことを他人にもしてあげたら良い。自分を粗末にして、他人だけ大切にするということは、僕たちにはとても難しいことだと思います。
おそらく、僕たちの多くはそんなに器用ではない。
どこでかは分かりませんが(不勉強で申し訳ない)、宮沢賢治はこう書いているそうです。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
僕もかつてそう考えていた時期もあったけれども、今は残念ながら賢治は間違っていたのではないかと思っています。(賢治がどんな背景、文脈でこう書いたかは実際良くわからないので、僕の解釈が間違っている可能性もありますが)
自分が幸せでないのに、他人の幸せに貢献することは出来ない。
だから、誰か大切にしたい人がいるのならば、まずは自分を大切にすること。自分が何が好きで、どんな時間の過ごし方に喜びを感じるのかを知ること。そして、忙しい中でも出来るだけ時間を取って、自分が幸せを感じるようなことをたくさんしてあげること。
ただ歩くために歩くことで、僕たちは自分自身の時間に立ち返り、自分の幸せとは何か、幸せな時間の過ごし方とは何かを思い返すきっかけを掴むことが出来ると僕は思っています。
僕たちには、もっと贅沢で幸せ時間が必要です。
それは高い物を買うとか、リゾートに旅行に行くとか、そういうことではなく、本当に自分のために時間を使ってあげること。
子供のころに無邪気に過ごしていた時間のように、時計を気にせずただ過ぎゆく時間に身を任せてみる。
朝の日差しで目を覚まし、昼の太陽の下で遊び、夕焼けとともに帰途についていたあの時間。
ただ歩くために歩くというなんでもない時間が、どうしてか、とても贅沢に感じられる。
それはきっと、あの頃の時間の思い出を、僕たちの一人ひとりが持っているからだと、僕は思います。
さて、次回は12月13日(日)に再び鎌倉で開催予定です!
告知は追って。
内容はまだ未定ですが、鎌倉を盛大に迷い歩く、という一度きりの?企画を考えています。
題して「鎌倉を迷い歩く人」
一度道を知ってしまったら、迷うことはもう出来ませんよね。このときだけの、たった一度の企画になると思います。
きっとおもしろ散歩になると思うので、ちょっとでも気になった方はぜひお気軽にお声掛けくださいね!
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