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元上司の叱責で得られた心の情景

「パワハラで訴えるぞ」

元上司は、2~3人いる控室で
周囲の存在をお構いなしにわたしに発する。

顔を引きつらせながら
「すいません」と謝るしかない。

「それだから、お前は…」と
続けて叱責は続く。

わたしは心の中で
「なぜ、ここまで
 追い詰められなければいけないのか」と
恨みつらみを思いつつも、
上司の機嫌が戻ることを願って謝り続けるしかない。



事の発端は、
元上司の義母の死去による
「弔慰金の渡し方」にあった。

会社内の組織にある
「社員会」(互助会のようなもの)で
共済金をあつかう担当者であるわたし。

ところが、年末の忙しさにかまけて
元上司の義母の死去は通知で知っていたものの
弔慰金の手配をすっぽかし。

そのまま、本人から言われるまでは
存在すら忘れている状態。


「早く持ってこい!」

わたしに電話越しに言う元上司。


わたしは目の前の業務を止めて
すぐにお金を準備する。

ありものの無地の封筒へ入れて
本人の待つ部署へかけ走る。

いまか、いまかと待つ元上司へ
弔慰金を手渡しした。

渡した瞬間、本人の顔は
みるみると赤くなる。


「お前な…
 こういうのは無地の封筒じゃなくて
 ちゃんとした封筒に入れて持って来いよ!」

そして、冒頭の言葉につながる。

「会社からの香典を”無地の封筒”でもらったって
 パワハラで訴えるぞ!」


弔慰金を無地の封筒でもらったことに
元上司は不服だったのだ。


わたし自身もハッとした。

たしかに義母の死去にともない
弔慰金を無地の封筒で渡されたなら、
怒りたい気持ちもわかる。

”正しい作法”は社会人としての常識である。

本来、弔慰金とは「入れるべき封筒」へ入れて
ご本人に手渡しするのが正しい手順になる。

元上司の言葉は、わたしに
常識の認識をあらためさせてくれた。


「申し訳ありませんでした。
 無知なわたしのミスです。
 今後は、同様の事例を起こさないように気をつけます。
 教えていただきありがとうございます」

元上司の目を見て、感謝の気持ちを伝えた。


元上司は、わたしの言葉を聞いて
こう言いつなげた。

「あ~、わかった、わかった。
 そうやって上辺だけの言葉を並べるんだな。
 いいよ、いいよ。
 そこまで期待していないから」


わたしは「すいませんでした」と
深々と頭を下げて、その場を去った。






その後、心がモヤモヤする。

今この瞬間に書き留めている状態は、
心のモヤモヤを晴らすために書いています。

皆様、お読みいただき感謝申し上げます。

この文章は、けっきょくは
わたしの言い訳グチです。


ただ、なぜでしょう。

書き留めることで、
濃霧の中を歩いていたのが
徐々に視界が開ける感覚を得られています。

まさに
アウトプットの産物といえるメリット。

あえて、自分の”外側”へ打ち出し
俯瞰して物事を見ることで
正しい本質を理解できる状況を作り出すこと。

どうして、心がモヤモヤするのか。

言葉にして目で追って、理解を深められる状態。


たしかに、元上司からの叱責は
とても厳しいものを感じました。

おそらく、読んでいただいた読者の方も
「この人の言い方はありえない!」と
感情移入された部分もあるかもしれない。


わたしの心のモヤモヤは、
複数人いる部屋で「パワハラで訴えるぞ!」と
はずかしめを受けた
ことでした。


その事実を記事にして
ようやく見つけられたことに感動しています。

「あぁ~、そうか。
 わたしも人間なんだな~。
 周囲から見られている状態での叱責は
 ある種の承認欲求に支配されているんだな~」

そう思えたんです。


やはり、人の目を気にしているんだなと。

周囲の目を気にしないのであれば、
上司の叱責なんて、蚊帳の外。

「あ~、何か言われている」程度に
おもい留めるのかもしれません。

「あの人、あんなことで怒られている」

そういった目線が、
わたしに心のモヤモヤを提供していたのです。

同時に
「もっと社会の常識を学ばねば」という気持ちも
強く芽生えたのは理解いただければ幸いです。




「書くって大事だな~」と思えた
貴重な時間でした。

そして、振り返りの大切さを
再認識できた体験でした。

元上司の言葉に感謝です。


では、また。
失礼します。

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