「テレビを見ないと世間が分からない」という謎発言の真意
ある日の会社での出来事。
上司同士の会話を耳にしていると…
「最近、あの人が亡くなったね」
「そうですよね~、死因が分からないから
困ったもんですよ~」
「うちらも気をつけないとな」
「shogoは、知ってたか?」
上司からわたしに話が振られる。
「いや、知りませんでした」
上司
「そうか、shogoはテレビを見ないんだったな。
だから、世間から置いてかれるんだぞ」
わたし
「そうですね。気をつけます」
…
ふと、
「世間とはテレビの情報がすべてなのか?」
と疑問を感じました。
「社会とはテレビを見ていれば分かるのか?」
とも言い換えれます。
たしかに、テレビの情報をつうじて
世界情勢を知ることは可能だし、
政治家の悪だくみも耳に入ってくる。
ただ、引っかかるのは
「テレビが世間のすべて」という点。
いまや、古くからあるテレビ局は
オールドメディアと呼ばれて
真実相当性が低いとうたわれている。
むしろ、裏側の黒い部分が批判をあびる時代。
だからこそ、上司の言葉にある
「テレビを見ないから世間においてかれる」という
謎の発言は看過できないと感じました。
わたしは、上司の思う
「テレビは世間のすべて」理論に結びつく要因として
3つ、あげられると考えます。
1、テレビを見ないと社会の流れが理解できない
2、テレビを見ないと会話についていけない
3、テレビを見ないと”つまらない人間”だという認識
という具合。
以上の3つの観点から、上司は
「あなたはテレビを見ないと世間を理解できず、
とても不幸せな人間ですよ」と
わたしに知ってほしいように思う。
気にかけていただいたということで、
とりあえずは言葉を受け入れます。
といいつつも…
ここからは、わたしの思う
テレビを信じすぎる人の危険性について
お話しさせてください。
✔テレビ絶対信者の
危うさ
「テレビを見ない人」は不幸せなのか。
わたしは、そうは思いません。
むしろ、テレビのみの情報に頼ることこそ
危ういのではと提唱します。
リモコンひとつで画面に映し出される
多種多様な情報。
視聴したいチャンネルに変えるという点で
一見すると取捨選択しているように感じますが…
あくまで、
情報の主導権はテレビ側にあります。
というのも、
どのように演出し、どのように視聴者へ見せて、
どのような情報を公開するかは、
すべての権限はテレビ側にあります。
つまりは、見せたい情報のみを画面に映し、
見せたくない情報は映さない。
だとすれば、テレビを見る側は
ただただ”受け身”となり、
与えられた情報のみで判断しなければいけません。
それは、一種の操り人形と同義。
印象操作されている情報を与えられて
テレビの手のひらで踊らされているのと同じ。
大事なのは、受け手側に立つのではなく
自らが情報を求めて動き選択し、
「自分はこう思う」という思考を巡らせることに
人の価値は生まれるのではと考えます。
もちろん、テレビを見ながら
「おれはこう思うけどな…」と意見交換するのは
ありです。
問題なのは、ぼんやりと何も考えずに
テレビを見て「へぇ~、そうなんだ」と鵜呑みにする状態。
なかなか、テレビの情報で議論をする人はいないと思うので、
多くの人は「なんとなくテレビを見ている」が大多数でしょう。
それでは、
残念ながらその人の価値は生まれず、
”流された大勢の一人”になりさがるだけ。
それって、幸せなんでしょうか。
✔会話のネタは
テレビだけではない
小学校の休み時間に
「あの番組、見た!おもろかったよね♬」と
友達と会話がはずんでいた頃が懐かしいです。
当時は、テレビの情報は
リアルタイムの情報としてマストで
「知らない人は会話についていけない」は
当たり前でした。
しかし、
近年の情報取得は、テレビだけにあらず。
Youtubeは、とうぜんながら
SNSをとおして瞬時に情報が拡散する時代です。
むしろ、テレビで情報を得るのは
遅いともいえます。
また、若者のテレビ離れも増加しているのは
ここ最近の話ではありません。
20代の人にテレビの話題をふっても
返ってくる返事は
「すいません、その番組知らないです」の一点張り。
それよりも、SNSのトレンド情報であったり
Youtube動画について話を広げるほうが
会話につながりやすいと感じます。
今後は、テレビの情報をつうじての
コミュニケーションは尻すぼみする一方でしょう。
中高年世代だけにしか通用しないコミュニケーションツールを
大事にしなければいけないのかというのも謎のひとつ。
というより、そもそも
バラエティ番組での会話で盛り上がる
中高年代って、どうなんですかね。
わたし個人的には
「ちょっと悲しいな…」と思うのは
少数派なのでしょうか。
それよりも「会社の未来」だったり
「働き方」「組織のあり方」「マインド」など
長年にわたって培った知識を話してほしいと願うのは
行きすぎなのでしょうか。
「テレビはオワコン」と言われ
ますます過疎化していく世の中。
テレビから得られる情報のみを武器に
会話を広げようとするのは限界なのかもしれません。
テレビも立派な情報源です。
ここまで、テレビを見るのは否定派の意見として
理由を列挙しましたが…
それでも、テレビは
わたしたちを楽しませてくれる娯楽である点は、
変えようのない事実です。
「テレビはないよりは、あっていいよね」という考えは
わたしはおおいに賛成です。
といいながら、
わたしはテレビを家には置いていませんが…
あくまで娯楽としてテレビを楽しむ分には、
ありかなと。
問題なのは、今回のパターンである
他人への強要ですね。
「テレビを見ないと世間が分からなくなるぞ」
は、ちょっと過激すぎますね。
「テレビを見る人は見る人でいい」
「テレビを見ない人は、見ないでいい」
それでいいと思うんです。
そして、それぞれの考え方を共用できて
お互いに寄り添い合うカタチを取ることが
正しい方向性だと思うんです。
by:テレビを家に置かなくなって10年目の人間より
では、また。
失礼します。