生きてる意味(エッセイ)
生きてる意味は自分自身が、その人生の中で見つけるものだと思う。
その意味を見つけられるのは自分が、この世界から、いなくなってからだろうか。
自分には、この道しかないと思えるほど、選択肢を狭めるのは、よくないと思う。
ただ、広げすぎても、よくない。
なんでも、かんでも、やるのは、最初の時だけ。
何をやっても遅すぎることはないという人がいるが、残念ながら、人は年齢をある程度、経過してしまうと道の選択肢が自然と狭くなっていく。
結局、何が言いたいのかというと、好きな地獄を選べ、ということ。
もしもの話だけど、三十代の人が「仮面ライダーの主人公になりたい!」って仮面ライダーのオーディションを受けたとしても、それは、その時点で勝負は終わっているのよ。
最近、出ている仮面ライダーの主人公役のプロフィールを見ればわかるけど、十代、二十代の人たちなのよ。
仮面ライダー響鬼のような三十代の主人公をやってた方もいるけど、あれは例外なのよ。
あれはベテラン俳優で、特別なオファーが、あらかじめあったケースなのね。
だから、意外と、なんでもできるようで、できないようになってるの、人生ってやつは。
自己責任論……とは言うものの、まぁ、自己責任だよ人生なんて。
こういうことを語るのも自己責任。
この文章の責任は私にあるわけで、炎上してしまった場合の責任は私に跳ね返ってくる。
それに、こういう文章を書いて載せても、あまり意味はないのかもしれない。
真実より理想を好むように人間は、できているわけで。
難しい話より、簡単な話のほうがいいよね。
まぁ、そんな感じです。
で、生きてる意味について結論を述べると、正直「ない」んです。
意味は他人がつけるでしょう。
そういうものなのです。
ただ、今からできることは自分で意味づけできるかもね、という話です。
好きな人生を、自分のできる範囲で生きましょうね。
ということで『生きてる意味』のエッセイでした。
では、またね。